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2015年 11月 24日

熊野の旅 木本の浜(七里御浜)と漁師

 昭和30年代頃までは木本も船が一杯ある漁師町で、その拠点の親地町は人口もすごく多かったものです。
 私が撮った昭和33年とかの写真では脇の浜、鬼ヶ城東口の海には中型の漁船がひしめいています。
 そして、その船は木本の浜に引き上げられたのです。
 九十九里浜よりは脇の浜の小さな入り江でも波が穏やかですから毎日引き上げるまでもなかったようです。
 漁船が段々大きくなる頃には木本の船は激減し、漁師も激減しました。
 私の子供達が小学校の頃には木本の浜に揚げられる船は数隻になった居たように思います。
 家の前の浜には地引用の和船が置かれていましたが、その地引も引かれなくなってきて、イベント用の地引になって来ていました。
 浜と漁師の縁が段々薄くなってきたのですね。
d0045383_21162061.jpg

      昭和35年(1960) 鬼ヶ城の磯から木本方向 
      NIKON F NIKKOR 105mm f2.5
 あまり引かれなくなったとは言っても地引を引けば、良い時には大きな鯛も掛かりますし、鯖だとかハゲだとか色々揚がりましたね。
 本格的に引く時はイワシとかの群れを囲んで引くのでどかっと獲れたのですけどね。
 その為には。二隻の船と浜で網を巻き上げる人間と、大勢が必要なのです。
 魚が湧いたからと言えば鐘を鳴らしたりサイレン慣らしたりして、人を集めたのです。
 地引は本業の人以外半農半漁的な人が居ないとなり立ちません。
 昔は人力のろくろを回しましたから、発動機より大変だし時間も掛かりましたね。

 この下の地引などは漁師でも無いこの辺のおばさんも手伝いに出て網を引き、揚がったさかののお裾分けをもらって居ましたね。
 昭和30年代まででしょうね。
 木本の浜のそんな光景を知る最後の年代が私の歳になってきました。
d0045383_218373.jpg

 今でも木本では親地町は漁師町と言うことになっています。
 でも、「漁民」なんてほとんど居ないんです。
 干物を加工する店は何軒もあります。
 写真を載せている浜の魚干し場も親地町の魚屋さんのものです。
 今は浜に構えるのは一軒だけかな?
 この干し場専用のようなゲートがあります。
 左が加工場ー右がゲートです。
 でも、加工場から浜までは国道を横切らなくてはなりません。
 もっとトンネルよりには国道の下を抜けるゲートもあるのですが、加工場がそちらから遠いですからね。
 そちらのゲートは船を引き込める大きさに作られています。
 昭和40年頃にこの国道42号線の改良が設計された頃には、まだ、台風の時には引き上げなければならない船があったということです。

 地引の裏話・・・
 日本放送協会が昼プレとか言う番組で木本の地引を放映した時・・・
 生放送で鳥羽一郎さんがゲストだったと思いますが、我が家の前のゲート下で鯛を料理したのですが・・・
 地引で掛からなかったら困るので二木島の養殖漁師さんの車が待機していました。
 万一のためですから決してやらせでは無いんですよ。
 地引に大きな鯛が入って居たかどうかも私は知りません。

   

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by je2luz | 2015-11-24 04:22 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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