その昔、秦の始皇帝の命を受けて、「徐福」という人がはるばる日本へ「不老長寿」の秘薬を探しに来たそうです。
その「徐福」が上陸したのが、熊野市波田須町の磯だそうです。
上陸したよりは遭難して辿り着いたというような場所ですけどね。
「波田須」は「秦・住む」から来たとか言う説もあります。
だから、全国に一杯ある「徐福伝説」の中では一番信頼性があるのだとか・・・
そして、隣の新宮では「徐福の墓」が駅前にあり、中国寺みたいなのが華僑の人達に建てられたとかで目だった居ます。
波田須の方には「徐福の宮」という神社があり、昔から大切に祀られています。
こんな二つがあるくらいですから、徐福さんが来た可能性がありますね。
その徐福さんが探していたのが「天台烏薬」という薬草だと言いますが、そう呼ばれる灌木がこの辺にはあります。
波田須にも植えられていますが、「薬効」は聞いたこと無いです。
お茶にして飲もうと思えば飲めるのですが、何に効くのやら・・・
少なくとも「不老長寿の薬」では無いですね。
「天台烏薬」が不老長寿の薬で無くても、ここ熊野では、永遠の青年が存在します。
好きで存在するのでは無く、「ずっと青年で居らせられる」のです。
「八百比丘尼」なんて伝説もありますが、そこまでは行きませんが、18で青年になると40年あまりはそのまま青年扱いです。
取り立てて長生きの土地でも無いのですが、「青年期」が長いのです。
これは冗談ですが・・・
本当は困ったことなんです。
若い人が居ないから・・・
居ても中々後を継がないから・・・
だから、元々、青年団員がやって来たことを「壮年団」「初老団」になっても続けなくてはならないのです。
これが「永遠の青年団」のメンバーです。
本当は飛鳥神社の「小阪神楽」のメンバーなんです。
獅子舞って体力の要る舞なのです。
昔は青年団の若手が伝承したのですが、今では十年でも二十年でも体が続くうちは・・・
やめたら獅子が舞わなくなります。
ここの獅子舞だけでは無く、あちこちでこんな状態になっています。
神輿も担げなくなってくるし・・・
祭りの準備も本番行事も、昔ならとうの昔に引退、隠居して居る古老達が行っているのです。
「生き甲斐になる」???
大事な戦力ですから生き甲斐にはなるかも知れませんが、この先どうなる???
あまり好きな手法では無いのですが・・・
「伝承芸能」「文化財」として保護育成しないと消えるでしょう。
金山が途絶えていた「相撲踊り」を復活させようとしたように、市内各地の「神楽」もこのままでは消えますね。
神事には公金は入れられなくとも、「文化財保護」には助成出来ます。
村祭りの日だけの出番では無く、年に何度かお披露目出来る場も作り、教育の場でも体験させるくらい必要でしょう。
よそでは一杯やって居ますね。
前にも取り上げましたが、そんな所から「郷土愛」も生まれるでしょう。
ソーランやストリートダンスでは「熊野の子」は育ちませんよ。
文化人じゃ無い私でも考えつくのですけどねえ・・・
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