前の記事ではお綱かけを取り巻く環境を書きました。
日本の海岸は「白砂青松」が代名詞だったのですが、今では、松原が残されているところの方が少ないのです。
戦後の復興期にアメリカから輸入されたパルプ用の材木が松食い虫を連れてきたとか・・・
紀伊半島は暖かいのと新宮に本州製紙・紀州製紙・巴川製紙と製紙工場があったので紀勢線経由で大量のパルプ材が輸入されたので松食い被害も早かったです。
これが、七里御浜の松林も花の窟神社の松も滅ぼしていまだに回復していないのです。
お綱掛け神事は前夜の雨も朝には上がり、神事の始まる時刻10時までには晴れ間も出て来ました。
その分、地面方立ち上る湿気でもの凄く蒸し暑かったです。
人出は何時もくらいで多くはありません。
綱を引っ張る人に制限を加えなくて済みます。
そこそこ、珍しいし、マニアには知られたお祭りなんですけどねえ・・・
これが綱にたかっている人ほぼ全員です。
写真を拡大して数えると、画面に納まっているのが約160名です。
境内の方に催事に関わる人は残って居ますが、カメラ関係や綱掛参加する人はほぼ全部出ています。
堤防側にカメラマンや観客が30人ほど残って居ますがそれが全てに近いんです。
つまり、200人ほど・・・
これだけの祭りでこれが多いのか少ないのか・・・
この様に人の集まりが少ないのは全国のお祭りの傾向ですね。
テレビで中継するお祭りも参加者を除くと観客はまばらなんです。
つまり、伝統のあるお祭りも維持するのに汲々として居るみたいです。
綱掛も役員はもちろん実働部隊も若くなくなってきています。
平日開催だから・・・とは言え、地元、有馬小学校の子供は浦安の舞の舞姫以外は来ていません。
昔と違い、こうした行事で村の学校が休まなくなったのでしょう。
歴史のある行事にも休めないほど授業が忙しいの??と、言いたいですね。
郷土を愛するとか理解するのも教育でしょう?
毎年、民間の「ひまわり保育所」は見物に来てくれるのですけどね。
ここは電電公社の交換手さんのために作られた無認可保育所が最初だったのです。
いまでは、保育所民営化の流れで、元市営の保育所も運営しています。
綱の側から見るとこんな風になって、窟の上と下界が結ばれています。
堤防の上からの指示で引っ張る方向を調整して、コンクリートの柱の切り欠きに綱を載せます。
この様な形でやるので、170mもある綱が必要なのです。
そして、長いから一杯すがれるのです。
この様にして綱掛けが完了するのですが、この綱が国道を横断し。浜で人が引っ張る間は国道42号は交通規制が入ります。
綱が上手く引っかかるかどうかで時間が変わりますが、20分程度です。
以外と早く終わるのです。
この様に神事に参加出来るのですから、何かしら「御利益話」があっても良さそうなのですがねえ・・・
元の神話から離れた「美しい御利益話」・・・ 誰か考えてくれませんか?
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