昔は日本中、お盆になると「盆踊り」に夢中でした。
郡上八幡とか小原の風の盆とか有名なのもありますが、小さな集落でもそれぞれの音頭と踊りがあったものです。
それが同じ集落で育ったものの共通の文化だったのです。
この辺では「やっさのせ」と言われる囃子詞がほぼ共通で、音頭や所作は所によって変わっていました。
こうしたものがおかしくなりだしたのは、戦後、婦人会とか青年団が旧来の盆踊りが古くさいと言いだし、「三池炭坑節」から「常磐炭坑節」なんてのを持ち込んできた頃からでしょうかね。
時代が下ると「おばQ音頭」なんてのまで全国で踊られたり・・・
そんな時代が一切りして振り返った時には、「地の盆踊り」が消えかけ、音頭取りも年を食い、テープでお茶を濁すなんてことが各地で起きました。
そして、一部の盆踊りを地区の文化財に指定して必死に残そうとしているようです。
およそ、盆踊りなどと言うものは素朴なもので、爺ちゃん婆ちゃんから子供まで、大きく構えないで踊るものなのです。
「追善」などと言う割りに何所の音頭や口説きもそっち向きじゃ無いのが多いようです。
私が聞いて育った飛鳥の方の音頭もおよそ法話などとは縁遠いものでしたね。
まあ、盆踊りが若い衆の出会いの場、地方によってはなんでっもありの夜だったのですから、「盂蘭盆会」なんてそっちのけで当たり前でしょうね。
私の時代では中学生ではそんな恐ろしいこと考えませんでしたし、高校の時には同級生の大多数が就職して帰省してくると、半分大人でしたから、進学組は子供でした。
久しぶりに会った同級の女の子と踊るのも気恥ずかしい・・・
暗闇に連れて行くなんて・・・
そんな時代でしたね。
何しろ歌謡曲でも・・・
祭り囃子を二人で聞いて 語り明かした あの夜が恋し・・・
なんて時代です。
今では盆踊りが壊滅状態・・・
そんな中・・・昨13日の夜、ゲートの見回りに行くと、0番のそばの親地町が賑やかなので覗いたら・・・
大勢集まってビアガーデンと踊りをやって居ました。
でも、私が居た時のは、「やっさのせ」ではありませんでしたね。
それでも、踊りがあるのですから大したものです。
私が子供の時にはこの新出町にも盆踊りがありました。
今の国道から駅に向かう道路が開通していなくて、行き止まりに自動車工場があった頃やってましたね。
何しろ小さな町内なので恐ろしくこじんまりしていました。
その頃の飛鳥は大又・小又・小阪・佐渡・野口・神山それぞれが競って盆踊りをやって居たので、町場の方がショボかったのです。
その勇ましかった飛鳥も、子供の数は1/10、労働年齢なんてほとんど居ないし・・・
限界集落という言葉を使う以前にいきなり消滅しそうです。
せめて、終末だけでも見届けるのが行政の仕事でしょう。
この人達に支えられてちょっとの間だけでも夢を見たのですからね。
木本堤防見回り 8月13日20時40分頃 0番と2番が駄目でした。
0番 片側開放
2番 片側開放・片側ロック無し
と言う事で、昨夜も二門駄目でした。
私が帰ってからガードマンが歩いていたけど、あれは何かな?
それと、堤防の外・・・
意味も無く花火大会用の電気が付いていましたよ。
用が無い人は夜なんか出ちゃあいけないんですけどねえ・・・
去年と意味が違うことを認識していませんね。
ブログ村参加しました。 ポッチ よろしくお願いします。
にほんブログ村