LUZの熊野古道案内

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2015年 04月 12日

熊野の旅 中学校給食開始

 随分昔・・・
 1990年頃木本中学校に給食を導入しようと動いたことがあります。
 まだ私が市議としては新米当時でした。
 市長の内諾を貰い、教育長の内諾も貰い、学校長まで話が及ぶ進む頃に、なんと、父兄からの反対が起きました。
 反対に動いた連中の裏の理由は・・・
 「先生に手間を掛けると子供の内申書に触る」なんて言う、情けない物でした。
 表面は、「子供には愛情弁当が必要だ。」と言うことでしたけどね。
 そして、何回かの集会もありましたが断念することになりました。
 新米市議の取り付けた裏約束は信用されませんでした。
 まあ、今の私とは違っていて当たり前ですけどね。
 その事で私が一時市民不信になったのも確かです。
 「正論なんて無意味なのかい!」と思いましたからね。
 と言うより・・・
 私の「正面突破」のやり方が理解されていなかったのですね。
 今なら少々違うでしょうけどね。

 それから四半世紀・・・
 生徒も居なくなってくるし、共稼ぎが昔より増えているし・・・
 今年度秋頃から中学に給食が導入されることになりました。
 もはや、各校に調理場を作って自前の給食をやるだけの生徒が居ません。
 先日の木本中学の入学式でも新入生46名です。
 全校生徒150名の規模なのでもう一つの有馬中学と二校分を一箇所で作って配送することになりました。
 普通だとそれだけの給食を作るとなれば調理棟を建てるのですが、木本中学の教室が空いてきているので改造で済んじゃいます。
 民間ではそれを請け負うような大きな仕出し屋さんなどありません。
 と言うことで一応自前の給食づくりです。
 木本中学では一番入り口に近い1階部分・・・ 職業・工作の教室を改造します。
 機械室と作業室を含めると二教室の大きな調理・配膳室が出来ます。
 食材の搬入や給食の配達用の車両も生徒が遊ぶ場所とクロスしないで出入り出来ます。
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 最初にやろうとした頃に比べ木本中学の生徒は30%あまり減ったのでしょうかね?
 木本中学校は、今はかろうじて二クラスを保って町場の学校の体面を維持している状態です。
 あと十数年で熊野市の中学生全部でも二クラスに納まるほどになるのです。
 遠隔地で中央に連れて来れない紀和町や育生町などを除き、木本中学か金山小学校のような高台の学校に統合するのが本当でしょう。
 ご自慢の無料の高速道路や鉄道を有効に使えば集めてくることも可能でしょう。
 その頃には少なくとも高速?は金山の学校のしたまで伸びています。
 それに、雪国では無いので集約化にはかなり有利です。
 都会の子供の通学時間からすれば決して長時間にはならないでしょう。

 また、何か理由を付けて反対されるかな?
 でも、一学年2人や5人の中学なんて・・・
 確かに公務員の雇用が減少しますが、学校は「先生の職場」以前に「教育の場」なんですよね。
d0045383_2351755.jpg

 この工作室は上に上がるのかと思います。

 この中学校の土地造成で出来たのが、下の赤坂です。
 元は山沿いの松田地の細い道から駅に懸けては低い田んぼだったのです。
 台風の度に井戸川の水が入り、湖になっちゃう遊水池みたいな田んぼでした。
 そんな当時を知る人もあまり居なくなりましたね。
 12号台風関連水害で、赤坂や井土が水に浸かったことでも忘れかけている人が居るのですから・・・

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by je2luz | 2015-04-12 04:29 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by egawa at 2015-04-12 05:03 x
こんにちは(^-^*)/
木中も寂しくなった。
ちなみに、高台新校舎、第一回新入生のわたしです(≧ω≦)
Commented by je2luz at 2015-04-13 23:00
あの校舎もシロアリ駆除の大工事をやったり、その後の対策として山側に水抜き溝を設置させたり・・・
 色々あるんです。


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