LUZの熊野古道案内

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2015年 04月 09日

熊野の旅 隣村 きなりの郷 下北山村

 きなりの郷とは
 (きなり=生なり)とは、
 純粋、素朴、まじりけのとない言った意味で、
 「本物の暮らしのある村」
 という願いを込めた言葉です。   下北山の説明です。

 下北山村は奈良県吉野郡の南の端、大台ヶ原の南側、奥吉野より奥熊野に近い山の中にあります。
 その北側は上北山村で、その先の叔母峰を越えてやっとこさ奈良県に入るって位、山の中です。
 日本中の山里同様、落人だなんて話もあるところです。

 私の母はこの下北山村生まれです。
 祖母は上北山生まれで奈良女子大になる前の奈良女子師範の一期生だったとか・・・
 祖父は京都三校の出身とか・・・
 明治時代の下北山や上北山から上の学校へ行ったのですから、勉強も好きだったのでしょうね。
 お袋も、学校へ行かせろと蔵に立てこもってストライキをして和歌山の女学校へ行ったそうです。
 その割りに、私はそんなにまでして行こうとも思いませんでしたね。
 お袋の兄貴が早稲田出身だったのが影響して、小さな頃から大学=早稲田と思い込みましたけどね。
 おじさんが慶応だったら???
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 そんな関係で、私は子供の頃、お正月やお盆には「お礼」という風習で「餅」や「素麺」を持って出掛けました。
 奈良交通で二時間ほど掛かったのでしょうね。
 結構大変だったので、泊まりがけでした。
 中学三年の時にはもうカメラを持っていましたので、お袋の実家で従姉妹などの写真を撮っていました。
 つまり、昭和33年頃の写真があると言うことです。

 そんな事もあり、下北山村が写真のような冊子を発行するに当り、私に「写真はありませんか?」と言う打診がありました。
 私はその頃からネガは保管する習慣だったので、使えそうな物を探し出しデータ化して提供しました。
 その冊子が下北山村役場から今日送られてきました。
 古い写真って、印画紙になったものをアルバムから剥がしてコピーするのですが、私の場合ネガからですから状態はやはり良いです。
 でも、以前にも書いたように、その頃は、子供にとってフィルムがもの凄く高いので普通の風景などは撮っていません。
 そうしたスナップの中で川遊びしている写真二枚が採用されていました。
 カバーの村長さんの挨拶の所、「心に残る思い出の一枚」と言う写真も私が撮った物でした。
 浦向のお店の前で村長・そのお姉ちゃん・従姉妹二人が写った物です。
 その斜め前のお饅頭やさんも今は無いように思います。
 景色は変わっていませんが、過疎化は熊野以上なのでしょう。

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 カメラはOLYMPUS 35 S1.9です。 フィルムはNEOPAN SS

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by je2luz | 2015-04-09 04:34 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by wankoya at 2015-04-09 07:43 x
生まれる前の写真です
でも、なつかしいです
オリンピック前はどこもこんな感じだったですよね(そして、津々浦々まで波及するまでは ← 津々浦々って山国もあるんだぜ!と安部晋三にツっ込む)
今の奈良女子大は、私の方では「(奈良の)女高師(ジョコウシ)」と聞いて育ちました
コウシ、コウトウシハン(東京教育大または筑波大、広島大)、ジョコウシ(お茶の水女子大、奈良女子大)、シハンガッコウ(師範学校、各県国立大学教育学部)、セイシ(青年師範学校)、ダイヨウ、シケン、・・・
そんな、先生の出身校のランク付けも聞きながら育った、多分、最後の年代です      
Commented by je2luz at 2015-04-09 10:11
奈良女子は高等師範ですね。  
私の頃も高等師範ー師範などの順位付けがはっきりしていましたね。田舎では高等師範出はなんて回って来ませんでしたですけど・・・
子供の頃は三重師範でもすごかった時代です。
小学の頃は代用教員を講習で正規に持ち上げるために学年途中で先生が津に行ってしまって途中で交代なんてのがざらでした。


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