LUZの熊野古道案内

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2015年 02月 28日

熊野の旅 能登・輪島

 昔の能登は観光地ではありませんでした。
 私が能登を旅したのは、昭和38年・1963年ですから、50年前です。
 津幡で乗り換えて輪島へ・・・
 津幡も乗換駅でしたが何も無い町・・・
 覚えているのは、そんな津幡の駅前旅館にヌード写真が飾ってあったことです。
 ポスターでは無く印画紙焼きの全紙大でした。
 良く撮れては居ましたが、その時代ですからモデルは太めで若くない・・・
 それしか記憶にない町です。

 輪島に入って、漆器屋さんに飛び込んで撮影許可を取って・・・
 もちろん、白黒時代でした。
 ストロボなんてまだアマチュアはまともに使えない時代、TRI-Xの増感だけが頼りでした。
 そして、露出不足・・・
d0045383_2144218.jpg

 高級漆器屋さんでは無かったのですが、職人さんが黙々と塗っていました。
 町には立派な漆器販売店もありましたね。
 なんと言っても「輪島」ですからね。
 
 その頃はまだまだ「御陣乗太鼓」もそんなに誰でもが知っているものでも無かったです。
 なんと言ってもテレビが完全には普及していないし、白黒が多い時代でしたからね。
 簡単にロケ出来るようなカメラも無かったですし・・・

 その時代だと、輪島の反対側の和倉温泉の方が有名だったくらいですね。
 でも、富山湾の鰤と蜃気楼はその頃から有名だったように思います。

 そして、能登半島の付け根から南は「加賀の国」
 加賀百万石・・・金沢・加賀温泉郷
 その頃の温泉郷は今とは違う意味で有名だったように思います。
 関西の会社の慰安旅行がどっと押しかけたとか。
 女性社員が会社の旅行に行くようになったのはもっと後です。
 学生の私には縁が無かったです。

 先ほども日本放送協会が富山新幹線を盛んに宣伝していましたが、知名度・温泉・食い物・名産品・・・そして、東京からの時間・・・
 暫くは、加賀へ加賀へと人がなびくでしょうね。
 なにしろ、あの放送も、ローカルで流れるのでは無く全国版ですからね。
 九州新幹線の時も同じでしたね。
 次は北海道新幹線。

 能登も加賀も一つのブロックで打って出てきます。
 紀州は中々一つになりません。
 その半分の「南紀」でもまとまりません。
 「尾鷲だけ」「熊野だけ」「新宮だけ」「勝浦だけ」「串本だけ」・・・
 これではよそに対してのインパクトがないです。
 和歌山県と三重県に分かれていると言うことでは無さそうです。
 「南紀」に来てくれないことにはどうしようも無いです。
 「毛利の三本の矢」では無いですが、まとまらないと宣伝費も細切れでは・・・
 今の三本の矢とは縁の無いところですが、毛利の方は真似出来るでしょう。
 各種連絡会議ってえのは一杯あるのですけどね。

 そうそう・・・
 以前は気象観測用のラジオゾンデを揚げる基地が輪島にあって、冬になると寒気の南下を表すのに・・・
 「輪島上空では・・・」と、放送していたのですが、イメージが悪いと輪島からクレームが付いたのだとか・・・
 あのおかげで随分有名になったのに・・・



  
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by je2luz | 2015-02-28 04:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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