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2015年 02月 21日

熊野の旅 秦の徐福 波田須とは

 波田須には「徐福の宮」というのがあります。
 徐福伝説の地です。
 しかし、徐福さんって、一寸古すぎますね。
 中国ではそんなに古くなくても、日本のBC200年頃となると・・・
 縄文時代から弥生時代へ移る頃なんです。
 つまり、まだ大和朝廷とか神社など無かった時代でしょう。
 そういう風に考えちゃうと、言い伝えも信頼性が・・・
 いやいや・・・
 今が皇紀2675年ですから大和朝廷が出来て400年後ですね。
 右の人に叱られそうです。

 徐福さんは江蘇省徐阜村(徐福村)に住んでいたらしいです。
 中国でも1982年まで伝説の中の人だったのだとか・・・
 でも、子孫らしき人達は居るような・・・
 孔子だって子孫がはっきりしている国ですからね。
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 もう一つ困るのは、日本中あちこちに「徐福伝説」があるらしいですね。
 この辺では、波田須と新宮で徐福伝説の取りっこして居ます。
 新宮では駅前の公園に徐福の墓というのがあり、華僑の人達が建てたらしい門があり、中国情緒を演出しています。
 それに、駅前ですから場所も良いですね。
 それでも、多くの日本人には「秦の徐福」なんて馴染みは無いです。
 秦の始皇帝は知っていてもねえ・・・

 今は中国からの観光客が日本経済を持ち上げる勢いらしいですが、あの人達の関心は、家電にカラオケ、温泉なんからしく、徐福ではこんな辺地まで来ないらしいですね。
 江蘇省除福村との交流では国際親善にはなっても、観光産業にはならないのでしょう。
 でも、「徐福の宮」に箔を付ける働きはするでしょう。

 「波田須」という地名・・・
 徐福さん達は日本で「泰」を名乗ったと言われるようですが、その「泰が住むところ」と言う事で「はだす」になったとも言われます。
 地元の一部の郷土史家などが唱えているようですが、一般にはほとんど知られていませんね。
 二木島の神武東征軍の遭難の話とか、産田神社・花の窟神社の伊弉諾・伊弉冉の話とか、赤木城と藤堂高虎とか、多蛾丸と坂上田村麻呂の話など、地元ではあまりよく知られていないのです。
 不熱心なのですね。
 こうした根っこからやらないと駄目でしょうね。
 私もちゃらんぽらんですが、こんなの教わったことないですからね。

 写真の右下のこんもりした叢が「徐福の宮」です。
 ここから急な階段を降りるか、心配になるような細い急坂の道を走るか・・・
 手前の建物は売店なのですが、ほとんど閉まっているようです。
 補助金を貰ってこの建物を建てて貰ったおばさん達も随分歳を召されたでしょう。
 風光明媚、良い所には違いありません。
 
  
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by je2luz | 2015-02-21 04:41 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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