LUZの熊野古道案内

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2015年 02月 12日

熊野の旅 夜の巷

 熊野(木本・井戸)は派手な町ではありません。
 戦前から戦後暫くは、交通の要所、地方経済の中心として、少しは賑やかだったようです。
 料亭・旅館・待合・・・女郎屋まで一応揃った町だったのですからね。
 それでも、そうした店が軒を連ねるという町づくりではありませんでした。
 旅館もあちこちに一軒ずつでした。
 「亀齢館」「朝日館」「酒甚」「よし住」「淸玉」「春風館」「日の出館」「喜多館」「御浜館」「観海荘」・・・これらは一軒も残って居ません。
 もっと一杯あったように思います。
 細い路地の「ひまえ道」には一杯飲み屋がかなりありました。
 料亭も「みはらし」「はるさめ」は覚えているのですが、私が大人になった時にはその時代は終わっていました。
 紀勢線全通が引導を渡してくれました。

 私がこちらに帰ってきたのは、昭和44年(1969)かな?
 大阪万博の前ですからね。
 まだ、169号線・叔母峰は悪路・難所でした。
 42号線は改修中で品川ナンバーの43年式・コロナ1600Sハードトップのサスペンションがすぐにいかれました。
 そして、帰ってきてすぐに、製材業先輩のおじさんに、木本から井戸へ掛けての飲み屋、ほとんど連れて行って貰いました。
 当時の飲み屋は私のお袋とよく似た歳の女将さんばかり・・・
 その直前まで身を置いた、赤坂六本木とは別世界でした。
 「MUGEN」の時代です。
 こちらの女将さんの娘さんより向こうのGFの方が若い!
 で・・・
 酒をぴったり止めました。
 酒なんて、アルコールの補給なら夜の巷をうろつくこと無いですよね。
 「お酒は可愛い女の子と一緒に・・・」
 理想は曲げたくなかったです。
 妥協してまで飲みたくないですね。

 私が夜の町に出るようになったのは議員になって付き合い酒をするようになってからです。
 その「付き合い酒」が一人歩きするようになって、随分飲みました。
 私が40歳台終盤から50歳台へ・・・
 流石にその歳になって町に出ると、私より若い子も居るようになっていました。
 二回りとか、それ以上とか・・・
 それなりに楽しく飲みましたね。

 そして、議員で無くなって酒も引退し・・・
 再び飲もうかなと思った時・・・
 「我が身世にふる 眺めせしまに」でした。
 ベテランママさんは引退し、若い子が店をやることも少ないし・・・
 ネオンが随分減って居ました。
 そして、今は、夜の巷をふらつく男なんて見掛けません。
 「代行」を頼んで飲むのですから、運転はしなくて良くても、コストは掛かります。
 田舎のスナックはボトルがあれば1000円、カラオケを歌っても2000~3000円・・・
 代行の方が高い???
 そりゃ、飲む回数は減るでしょう。
 そして、見込み客数・・・
 稼働年齢男子数は激減、頼みの綱の老人は「国民年金受給者」が大多数・・・
 65000円では家での晩酌もままなりません。
 先行き不安なのと低金利で蓄えでは酒など・・・

 夜が静かでも町は残ります。
 しかし、夜のネオンが減る一方と言うことは、建前では無く言えば、やっぱり、活力が無くなったと言う事です。
 そちらに力は入れられなくても、町を生き返らせれば、そちらも潤うのでは無いでしょうかね。
 こちらの方は一歩先に外人さん頼りになりつつありますが・・・
 それでも20年ほど前には4軒あった外人さんの居る店も一軒だけかな?

 一杯飲みたい観光客さんが居たら???
 小料理屋以外どこへ行くのでしょう??
 「観光立市」の一角が崩れています。
 でも、立て直しにくい部門です。
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     NIKON Đ800E MICRO NIKKOR 105mm ISO400 f8 1/2000

  
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by je2luz | 2015-02-12 05:03 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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