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LUZの熊野古道案内

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2015年 01月 19日

熊野の旅 南牟婁が元気だった頃

 昨日は久しぶりで二木島へ出掛けました。
 取り立てて訪問する宛ても無かったのですが、久々に「清流」の手配りに行ってみました。
 と言っても、先日、吉熊新聞に折り込んであるので、ダブリを覚悟でほんの一部にだけ入れました。

 カメラを片手にぶらりぶらりと・・・
 そして、前にも気になって家が開け放されていたので中を覗き込みました。
 おそらく、大正末期から昭和初期に建てられたのでしょう。飾りスリガラスの入った縁側の建具が、崩れかけながらも原形をとどめていました。
 当時としては、かなり高価でハイカラだったはずです。
d0045383_19344242.jpg

 内部の建具もかなり瀟洒な感じです。
 二木島ですが、材木で財をなした方の邸宅だったようです。
 二木島にある何軒かの旧家の一軒ですが、今は跡継ぎの人はこちらに居ないのかな?

 この辺りは、全般に「お屋敷」なんてのが無い土地柄です。
 平地のある所でも「お屋敷」が無いのですから、湾の奥に張り付いた集落では立派な屋敷など作れなかったでしょうね。
 でも、この建物が残って居るということは、昭和19年の東南海地震津波で無事だったと言う事ですね。
d0045383_19422627.jpg

 戸袋をご覧になればお分かりかと思いますが、物々しい建物を好きでは無かったようです。
 多分、御当主さんはハイカラなお方だったでしょうね。

 新鹿にも何軒か旧家があります。
 材木と網で財をなした方々ですね。
 飛鳥にも五郷にも大井谷にも碇にも神上にも・・・
 こうした周辺部にも沢山の旦那衆(だんなし)が居たのです。
 その一部が木本に居を構え・・・

 大正から昭和へ・・・
 汽車は走るし汽船も走り、南牟婁が元気だったのです。
 戦争が始まり・・・
 材木は統制に掛かり・・・
 私の家の材木運搬船まで軍に徴用され・・・
 当時としては珍しかったフォードのトラックも・・・
 最後は長男に至るまで男は召集され・・・

 かくして、南牟婁の地は、「陸の孤島」として置き去りにされました。
 そして、紀勢線が全通した頃から更に低落の速度が上がり、国道42号の改修では効果無く・・・
 とどめは・・・
 「高規格道路」らしいです。
 最早運ぶ物産はありませんからね。
 熊野材も建築材では無く「バイオマス燃料」として見られているのです。

    
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by je2luz | 2015-01-19 04:27 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by はじめ at 2015-01-22 15:47 x
熊野市立診療所の医師を募集しています

ナイナイアンサー で 紹介されてました。
昨年3月より 医師が おられないんですね。
Commented by je2luz at 2015-01-22 20:41
はじめさんへ
 ***
 もう、20年も余って前から、二木島や五郷・神川の診療所はお医者さんが引退されたりすると次が中々決まりません。
 ご本人が納得されても、奥さんが嫌がってご破算になったり…
 中核の紀南病院の医師確保でも四苦八苦です。
 


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