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2014年 12月 27日

熊野の旅 魚いらんかえ~ カンピンタン

 これも私が子供の頃・・・
 まだ、冷蔵庫が「氷冷蔵庫」の頃の話です。
 アメリカではGEの丸っこい冷蔵庫が普及していたのですが、日本では町中のお金持ちは「氷冷蔵庫」・・・
 田舎では氷が手に入りませんから「井戸」が冷蔵庫代わりでした。
 まだ、「肉」なんて物はおいそれとは口に入らない時代ですから、蛋白質は豆腐と魚でした。
 冷蔵出来ないので、干物でももの凄く塩をきかせていました。
 だから、かびたり腐ったりしないで「カンピンタン」になったのです。
 「カンピンタン」が判らない???
 私だって語源は知りませんが、目茶目茶乾いた状態です。
 夏の舗装道路に出て来てカチカチになったミミズ・・・あれがカンピンタンです。
 タツクリの鰯・・・これもカンピンタンです。
 サイレや鰺の干物があの状態まで乾いちゃうのです。
 焼いて熱いうちは割ることもかじることも出来ますが、冷めたら歯が立たない・・・だから、お茶に浸けてふやかす・・・
 それでも「もったいない」から人間は食べました。
 猫は「もったいない」なんて考えませんからまたいで通り過ぎます。
 だから。「カンピンタンの干物」を「猫またぎ」などと呼びました。

 そんな時代・・・
 山間部でも毎日魚売りが来ました。
 頭の上に浅い桶を載せて・・・
 「魚いらんかえ~」と一軒一軒売り歩いたのです。
 江戸の町では天秤棒で桶をぶら下げて「一心太助」などが売り歩いたとか・・・
 飛鳥も江戸の如く結構新鮮な魚が手に入ったのです。
 小阪辺りの魚売りの出発地は木本ー評議峠越え 泊ー佐田坂 新鹿ー八丁坂
 大又小又方面だと賀田ー鳥越峠 なんて人も居たようです。
 頭にドーナツ状の藁で作って布を巻いた座布団をのせて桶を載せました。
 これを「いただき」と呼んで居ましたが、魚だけで無く材木でも何でも女の人は頭に乗せました。
 男は肩を使いましたが、小さな肩では担ぎにくいし、力も入りにくかったのでしょうね。
 慣れている人は手を放したままで歩いていましたね。
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 こうして運んでくる魚、サイレや鰺に始まってシビまでその日に上がった新鮮なのが来ました。
 そんなのを買って、思いっきり塩をして・・・
 冬は山間部は寒いのできれいな干物が出来ました。
 始末して食べるので、最後は「カンピンタン」でした。

 関西では
 「ぼうさんが へをこいた」
 などと下品な数え方をするようですが、南朝の公家さんが住み着いたこの辺では・・・
 「いわしの かんぴんたん」と数えました。

  

  

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by je2luz | 2014-12-27 04:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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