LUZの熊野古道案内

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2014年 12月 22日

熊野の旅 産田川 勾配の無い川

 有馬町に産田神社があり、その脇を流れる川が「産田川」です。
 産田さんから上流は山に入り池川という集落に向かい、水源地はすぐそこです。
 産田さんから下流は少し蛇行して、いわゆる「山崎沼」「大前池」を経由して、「志原尻」から海に出ます。
 河口閉塞がすぐに起きる志原川と合流するのです。

 この川は、産田さんからは沼と沼を渡り歩いて河口まで2Kmほどあるでしょうね。
 結構距離があるのに産田神社付近の地盤は7mほどしか無いのです。
 川の通常の水面は海抜5mとかでしょう。
 つまり、勾配が無いのです。
 勾配が無くて河口が詰まるので沼だらけなのです。
 と言うより・・・
 まっすぐ海に出られれば1Km流れないで海なのですが、押し寄せる砂利で行く手を阻まれ出口を求めて。志原尻までさまよったのです。

 勾配が無くて沼地が出来て・・・
 だから、太古から人が住み着いたのでしょう。
 水田だって、最初はこんな所で始まったのですからね。
 板で囲ったような水田もそんなに大きくは無かったでしょうが、水の切れる心配も無いし・・・

 と、言うことで・・・
 「産田神社」や「花の窟神社」を生む神話が出来たのだと思います。
 有馬周辺では石器や土器もでるそうです。
 海からも遠くないので魚も捕れますし、古代人には住みよかったのでしょう。
 それに、古代には「どこが遠い」なんて無かったのでしょう。
 自分の場所が中心だったはずです。
 神々が「国」なんてのを作り出すと「都」を中心に考えるようになり。「熊野」は遠くなっちゃったのですよね。
 「いさなぎ」や「いざなみ」が居たのなら、その親も遠くでは無いでしょう。
 
 神々の時代が進むと、神は熊野から出てしまったのでしょうね。
 神が人間になり天皇になる頃には「熊野は僻地」になったのでしょう。
 今の人は「熊野は寂れた」と言いますが。神世の時代から「人口流出」「過疎化」の先進地だったようです。
 神さん達は早めに出ていったらしく、神世の話も多くないですね。

 種とか人種とかに記憶がある・・・なんて言う説もありますが、「熊野は神々の郷」だとか「熊野三山」なんて聖地を作ったのは、古代の記憶が残っていたのでしょうかね?
 「熊野三山」は、有名な教祖さんや仙人が造った様子も無いし・・・
 今は「末法の世」だし「神は忘れられている時代」ですから、思うほど人が来ないのかも知れません。

 「種や民族が滅びるとき記憶がよみがえる」なんて星新一さんは書いています。
 熊野古道が人で埋まるときは・・・
 日本人が消えるときか、小松左京さんが書く「日本列島沈没」のときかも???
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 産田川中流、ひかり園の辺りです。
 全く流れが無くよどんでいます。
 右側は沼地ですし、河床はヘドロ?泥?です。
 タニシが居そうなのに歩いた後がありません。
 昔は居たと聞いたことがあります。

 20年ほど前、この辺りから311号の下を使って海へバイパスさせて排水しようなんて提案をしましたが、「ポンプまで使って排水してどこを守るのですか?」と、言われたことがあります。
 確かに、元からの沼地ですから洪水で浸かる施設はそんなにないですね。
 それを承知で後から入ってきた施設もありますが、それまで公金で守るのは少し疑問があります。
 「輪中」なんてのを国が復旧するらしいですが、それにも疑問を感じる私なので、こうした問題は難しいです。
 「理屈抜きでとにかく公共事業を増やすのが手柄」だとは思えません。
 その積み重ねで、日本国が滅びようとしているのですからね。

  

  

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by je2luz | 2014-12-22 04:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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