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LUZの熊野古道案内

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2014年 12月 19日

熊野の旅 寒いだろうな

 木本も寒いです。
 ファンヒーターとかエアコンのスイッチを入れたくなるくらいです。
 娘が帰ってくると言った時買ったファンヒーターはあるし、今年の夏、天使ちゃんが帰ってくるかも知れないと言ったとき付けたエアコンも居間にはあります。
 でも、使っていません。
 股引同様ああいった代物は一度使うとそのシーズンは抜けられなくなります。
 無くても死にはしません。
 もう、20年ほど、夜中の電気カーペット一畳分だけもしくは25Wのアンカを寝入りばなだけ付けることで済ませていますから体は適応しています。
 それでも、この二日ほどは寒いです。
 飛鳥などは夜中は勿論零下の世界だし、昨日などは昼間も零点当りだったそうです。
 寒いでしょうね。
 あんな所で育ったんです。
 もっと寒かった昭和20年代から30年代半分まで・・・

 北国はかなりの雪のようです。
 私が子供の頃の教科書では直江津・上越高田辺りの積雪は2mから3mと載っていました。
 今より雪が多かったのでしょうね。
 子供の頃、ここでも、飛鳥では年に何回も雪が積もって雪合戦しました。
 栄養不足でヒビ、あかぎれ、しもやけだらけの子供達だったけど、雪合戦はしましたね。
 教室にストーブなんて用意されていなかったのにねえ・・・
 お茶を沸かす炊事場の煙突の廻りに集まって暖を採りました。
 今の子と違い、ほっぺたが赤く、鼻を垂らした子が一杯でした。
 ああして育った子供も歳を取って寒がっているのでしょうか?

 田んぼでたき火をして河原で拾った石を焼いてカイロ代わりするなんて、今の子は想像も付かないでしょう。
 そんな熱い石に足を載せても、上履きがわら草履だったので大丈夫だったのです。
 授業を始める前には暖まるための体操や押しくらまんじゅうをやりました。
 日本国も人民も貧乏でした。
 それでも子供の世界はガキ大将が統治していたので「いじめ」なんてありませんでした。
 ???
 ガキ大将だった側だから解らないのかな?
 刃向かうやつは制裁しましたが、いじめては居ないんですが・・・

 「肥後の守」で河原竹を刀に作り上げ、腰に差して登校したのです。
 先生も差し棒として河原竹の棒を持っていました。
 先生のは長いんです。
 その長い竹の棒は頭をどづくのにも使われました。
 随分叩かれました。
 理不尽なことでどづかれたのは忘れませんね。
 ガキ大将と言えども先生にはあまり逆らえませんでした。

 私はつぎが当たっていても靴下履いていましたから他の子よりは冷たくなかったんですね。
 でも、小さい頃から「はんこ」とか「はんちゃ」を着るのは嫌いでした。
 「格好悪い」なんて思ったようです。
 そのやせ我慢がいまだに続いているのでしょうね。
 こもこも「ダウン」など着るのは由としません。

 背筋のなして凛としていれば・・・

 でもやっぱりこの二日は寒いです。
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by je2luz | 2014-12-19 04:32 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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