LUZの熊野古道案内

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2014年 12月 01日

熊野の旅 新宮が攻勢に転じた?

 新宮は木本にとっては昔から兄貴分みたいな町でした。
 木本が旧制度の「南牟婁郡木本町」なのに対し、新宮は「新宮市」でした。
 町としても、分散しないで固まっていることもありますが、私が物心ついた頃には、結構都会のような町でした。
 普通の店も一杯、料亭に芸者さん、遊郭も・・・
 駅前には映画にもなるほどの駅弁屋さんも・・・

 うちの方では、奥の人は買い物に出掛けるのは「木本」がほとんどだったのですが、木本や海岸沿いの南郡の人は、改まって買い物に行く時は新宮まで行ったのです。
 私は奥で育っていたのですが、木本に住んでいた祖母に連れられて、新宮へも買い物に行きました。
 駅から丹鶴町を通って仲之町へ・・・
 木本の数倍は大きいですからね。

 丹鶴町には記憶では、小さな大衆食堂が何軒もあり、駅から進むと右手に薬局・パン屋があり・・・暫く進むと本屋が左右に一軒ずつ、電気屋に煎餅屋、郵便局、荒物屋、服屋が何軒もあったしカメラ屋も・・・丹鶴町のお終いは今と同じたばこ屋でしたね。
 商店街の下を汽車が走るのもすごかったです。
 仲之町に入らずにまっすぐ行くと「写真館」があって、そこのご主人は日本の写真黎明期に活動した田本研造さんの弟子だったはずです。
 仲之町はアーケードで心斎橋並!
 店が一杯すぎて、瀬戸物屋とか呉服屋とか、帽子屋なんてのから、確か鰹節屋も・・・
 とにかくすごかったんです。
 その頃には上木本と新宮の間は15分刻みにバスが走っていたと思います。
 新宮から木本へ買い物に来る人なんか居ませんから、今の高速道路並のストローだったのでしょうね。
 それでも、木本も周辺の浜の人や奥の人が一杯居たので元気でした。
 子供の頃は「新宮の肉」は美味しかったです。
 まだ。熊野には「美熊野牛」なんてのはありませんでしたからね。
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 その新宮の丹鶴町・駅前商店街が大きなチラシを入れてきました。、
 スーパーとかショッピングセンターなどは熊野は完全に商業圏としてチラシはずっと入れています。
 でも、今回はA判全紙、両面アート紙、総天然色 と言う強力なものを商店街が打ってきたのです。
 今の若い人には「丹鶴町」「仲之町」という町のネームバリューは少なくなっているかも知れませんが、大きな挑戦状ですね。
 この丹鶴町のど真ん中に熊野のホテルチェーン資本のホテルが出来たとか・・・

 このチラシ・・・
 イベントがらみですが、ほとんどのスペースが地元商店の宣伝です。
 これは「第一弾」と書いてあって「丹鶴町」のお店がメインですが、企画には「仲之町商店街」も入っているので、「第二弾」があるとしたら「仲之町」がずらりと並ぶのでしょう。
 商店街がやる以上、これが本来の姿でしょう。
 各商店の意気込みが感じられますからね。
 前に書いたように、商店が隠れた商店街のイベントって不思議な存在なのです。

 あの辺りも、中核のツインシティ・オ-クワの集客力が落ちてしまったので大変なのでしょうね。
 高速道路もこの前の42号線を見て居ると、休日の夕方は和歌山ナンバーが帰ってくるのが一杯です。
 あれも、ストローに吸われた新宮辺りのお客さんたちなんでしょうね。
 
 吸われた分を、近隣で取り戻そう・・・と考えたのかも知れません。
 イベント合戦でも、大きな町の方が強くなっちゃいます。

     

  

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by je2luz | 2014-12-01 04:33 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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