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2014年 11月 17日

熊野の旅 熊野 井内浦 波静か

 「井内浦」(いちうら)と聞いて、「何かあったような・・・」と、思われる方が居られるとしたら、少し年配になられて居るかも知れません。
 「井内浦」は中部電力熊野原子力発電所候補地だった所です。
 国道311号線、磯崎と波田須の間の道のずっと下の磯です。
 かなり手狭だし、入り江と言うほど深くない所で、今で言う、「東南海地震の震源地」のそばです。
 「なんでこんな所に計画したのかな?」と、思います。

 人目に付かないし、人口密度が低いし・・・
 当時はまだ熊野市に人が居たのですが、せいぜい三万人だったのです。
 大きな町は新宮市ですが、20Km以上離れているし・・・
 新宮でも4万ほどですよね。
 30Km圏内全員が被爆しても、熊野市・尾鷲市・南牟婁郡・新宮市・北山村・下北山村くらいで総人口20万人も居ないのではないでしょうか?
 万一の時に犠牲になる人間は日本でも最小クラスなんです。
 地盤・地質などよりそっちが先でしょう。
d0045383_2148083.jpg

 これが原子炉が座るはずの候補地の全景です。
 こんな記事でも書かなければこんな何も無い所の写真は撮りませんね。
 
 この敷地は元は地元の人が農地や山林として持っていました。
 原発が持ち上がると、反対派の人達は「一坪地主」として土地を買いました。
 推進派の個人も「思惑買い」しました。
 そして、大きな面積を大企業の子会社が押さえました。
 たしか、南海電鉄傘下「高島屋日発」とか言う、会社だったと思います。
 上の方は「藤田工業」だったかな?
 価格上昇+国への協力が目的だったのでしょうね。
 勘ぐれば、国の差し金で押さえたとさえ思えます。

 原発候補地を返上する時に、この高島屋系の会社の土地を熊野市が買い取りました。
 今、「里創人・熊野倶楽部」のある辺りに同じ高島屋系のホテル「オレンジホテル」の跡地と同時に買い取ったのです。
 これは、当局側の提案と言うより、私達のような原発反対派の議員の方が熱心でした。
 「市有地にしておけば、市民の同意が無い状態で中電に売り渡すことはあり得ない」と言うことでした。
 原発反対は漁師を筆頭にかなり根強いものだったので、民間企業よりは防衛しよいからです。
 これにより、発電所の主要部分は市民の持ち物と化したのです。
 企業も当てにならなくなった原発用に持っていても塩漬け資産ですから、喜んで?売ってくれました。

 当時、高島屋は上の方の道路近くに「老人ホーム」を建てるなんて話をしていましたが、私達は全く信用していませんでした。

 この市有地には、その後、中山間農村対策か何かで「農村公園」が出来ています。
 年に数回しか使わない勿体ない公園です。
 四国高松の女木島か男木島でも、何も無い海岸で護岸とかの工事が同じ事業でなされていました。
 原発よりはましなので、この事業を受け入れました。
d0045383_2252259.jpg

 この狭い湾の外は熊野灘です。
 すぐ先が「日本海溝」・・・プレートの境目・・・「東南海地震」「南海プレート連動地震」の震源地です。
 これは、計画された頃にも解った居たことです。
 「作ることが目的」の地質調査では「無視」され「想定外」にされることです。
 そして、最短、4分で津波が到達します。

 この原発完全排除のために市議会議員に立候補したのです。
 そして、同志の議員共々、時の坪田誠市長を説得動員して「熊野原発」を葬ったのです。
 その後の木本海岸潜堤構築なども、熊野を安全にすることだけを考えて動いてきています。
 しかし、今動いている高速道路問題は難物です。

 理論的には理想的なエネルギーなのですが、「人知・人力」の及ぶ所では無いので、容認できず反対したのです。
 熊野から追い出しても、「日本にあること」「地上にあること」が怖いのですけどね。
 なのに・・・
 どうして、再稼働に賛成しちゃうのでしょうね???

     

  

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by je2luz | 2014-11-17 04:36 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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