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2014年 11月 02日

熊野の旅 熊野の負の遺産 木本事件

 どこでもそうですが、自分たちの所の影の部分は隠そうとします。
 目をつぶろうとしているのかも知れません。
 でも、知っておかなくてはならない事もあるでしょう。
 その影がどうして出来たのか・・・

 木本には世界にも知られている事件の歴史があります。
 「木本事件」と言われるもので、1926年正月に起きた集団殺人事件です。
 今も残る「木本隧道」の工事中に起きた事件で、工事に従事していた朝鮮人労働者と地元民との間に諍いが起こり、一部町民の制止にも関わらず、2名の朝鮮人を殺してしまったのです。
 私の祖父はその現場に居て、若い衆を止めようとしても止められなかったそうです。
 「群集心理は怖い物だ・・・」と語ってくれました。
 殺された朝鮮人は日頃は地元の人とも仲良く出来ていて、「良いやつだった」とも聞きました。
 私はその人達の名前は、当時の日本名の「春山」「秋山」としか聞いていません。
 その前には関東大震災の後にも東京で大量殺人もあったと言われています。
 流言・あおり・・・
 動き出すと停まらない・・・
 本当の原因など無かったのでは無いでしょうか?
 「時代の引き起こした悲劇」で片付けるのでは無く、人間の怖さ、社会風潮の怖さの教訓にしなくてはならないでしょう。
 日本と朝鮮の間だけに起こることではありません。
 国だとか組織だとかがある限り、人間性を欠くとこうしたことが起きうるのです。
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 この犠牲になった二人の慰霊碑は木本隧道の木本側入り口左の一段高い畑にあります。
 この慰霊碑の建立の話が持ち上がった時、私は一回目の市議の時期でした。
 そして、当時同僚だった浜本亘治さんもこの事件について聞いて育っていたので、地元で供養してきたことを思い出して先方に伝えたりしました。
 宗教がらみには憲法の規定から公金を支出できないので、議員や職員の寄付を集めたり・・・
 その後に色々あったのですが、最早、浜本さんも亡くなられたし、これを記憶するのも私だけ・・・
 「熊野市史」の記述にも問題があり、その当時には書いた本人が存命だったので、教育長も動いて、訂正の許可も取り付けたりして出来るだけのことはしたのですが、本全体の再発行までの金も無く、一部訂正の文章を印刷したリーフレットを作ったのは確かだと思うのですが、どうも、先方には旨く伝わっていないような感じもします。
 行政という物の限界というか、何かというと話が食い違ってしまうのは困ったものです。

 こうした、人間の怖さを知らしめる事件がここ木本にもあったことは、消せない事実です。
 これを教訓にして、国籍だとか人種だろか関係なく、仲良く過ごせるようにならなくてはいけないでしょう。
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 この「木本隧道」が出来たのも、半島からの労働者など多くの汗があったからですし、悲惨な事件もあったのです。
 しかし、この事件に関しての記事とかは地元では少ないようです。
 残念ながら。もう。当事者で存命の人は居ないでしょうね。
 祖父から聞いた私がこの年なのですから・・・
 悲惨な事件ですが、問題化するのでは無く、わかり合えるための手がかりにするべきでしょう。

 紀和町の方でも問題は残っています。
 イギリス兵のことは美談にして・・・
 「入鹿ボーイズ」と言われる捕虜の人達だって、許してくれるまで随分年月が掛かったはずです。
 時代とは言え、入鹿ではイギリス兵も朝鮮半島の人も命を落としているのです。
 勿論、名も無い日本人労務者も・・・
 そうした歴史をきちんと伝えなければいけません。
 鉱山跡が観光資源だなんて浮かれているだけでは駄目でしょう?
 これでは、他の人の心に訴えるような、観光地は生まれないでしょう。
 そして、うわべだけのガイドでは・・・

 11月22日にはこの木本事件の犠牲者の方の慰霊祭もあるそうです。

     

  

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by je2luz | 2014-11-02 05:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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