LUZの熊野古道案内

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2014年 10月 21日

熊野の旅 吉田大明神 木本以外にも・・・

 木本神社には三つの社があります。
 真ん中はご本尊様?主神様達?
 向かって左は忠魂の社
 向かって右は吉田大明神という木本浦の恩人を祀った物です。

 この吉田大明神様というのは割合と新しい神様です。

 安政2年(1855)木本方面の27ヶ村(紀州藩領)と有田方面の5ヶ村(新宮領)の知行替が発表されるや木本など27ヶ村は紀州藩から離れることを喜ばず、新宮藩に入ると重税に見舞われるであろうことなど予測して猛反対を展開一揆の様相をていし、安政の村替騒動となった。
 このとき江戸詰御勘定奉行の吉田庄太夫という人が藩命をうけて木本に来て、説得にあたったのですが民意が変わりそうに無く、ついに独断で「村替御据置」との誓紙を交わし江戸に帰って村替を中止せしめたのです。
 かくてし大騒動は民衆の勝利で終わったのですが、吉田庄太夫さんは独断の責を負って自刃したのだそうです。

 などと言う記述もある、紀州藩内での本家、分家の領地交換に対してこの木本をはじめとする近隣の村々が反対し、この騒ぎを収めるため、一命を賭して木本浦の住民の意向を尊重し、領地替えを中止させてくれた人の恩義を忘れぬように祀った物です。
 この様な神様ですが、同じように神川町上山神社にも「吉田大明神」があるそうです。
 田辺市の関龍寺境内にも石碑が建立されているそうです。
 他の村にもあったのでしょうがどれだけ残って居るのでしょう?
 この謂われは、木本の人にも余り知られていません。
 忘れられ掛けているのですね。
 
 江戸時代にここまで逆らった、奥熊野の村々なのに、明治の廃藩置県とかの時に、和歌山県側では無く三重県側の「度会県・わたらいけん」に入れられる時には騒がなかったのでしょうかね?
 明治政府の方が怖かった?

 この班の違いが一番目立つのは、私の家のすぐそば、新出町稲荷神社を出た所、向かい側の家の壁から尽きだした看板にある「国境の表示」でしょう。
 木本側が「紀州本藩」、新宮側が「新宮藩」となっています。
 すぐそばに井戸川があるのですから、藩境ならそこになりそうな物ですが、木本浦と井戸村?の境がそこだったのでしょうね。
 紀伊山地の端っこが降りてくる下り尾根が村境だったのでしょう。
 紀勢西線紀伊木本駅(現熊野市駅)は名前は木本でも場所は「有井村」ですからね。

 国境に当たる所にはものすごく細い道が家と家の間にあり、駅の方に向かっています。
 私が子供の頃には駅前丸山町は沼でしたので、その細い道が沼に突き当たり、沼のほとりを迂回して木本駅へ繋がっていました。
 今使われている細い路地よりもっと細い物です。
 私もかすかな記憶しかありません。

 木本町内のあちこちに舗装道路に埋め込んだ石造りの飾りがあるのですが、意味の無い所に埋める位なら、この「国境」に埋め込んだ方が観光には役立つでしょうね。
 これが「熊野古道」の歴史でもありますからね。
 でも、木本のように御三家に残った側は良いですが、井戸のように新宮藩の方ではこんな表示は嫌かも知れませんね。
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 神川町神上(こうのうえ) 上山神社
 この土地は「神」が二つも付きます。
 何かあるのでしょうね。
 熊野は神々の郷・・・「神」の付く地名も多いです。
 神川(かみかわ)、神上(こうのうえ)、神山(こうのやま)、神木(こうのぎ)、神志山(こうしやま)まだあるのでしょうね。

     

  

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by je2luz | 2014-10-21 04:55 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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