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2014年 10月 12日

熊野の旅 この地方の中核病院 紀南病院

 この紀南地区は昔は交通の便が悪く、「陸の孤島」などと呼ばれることもありました。
 今の熊野市の中心、木本町は戦前から町制を敷いて居ましたし、鉄道も比較的早くやって来ました。
 しかし、その先の海岸部は鉄道も道路もなく、巡航船に頼る時代が長く続きました。
 木本とて、鉄道が繋がっていたのは紀勢西線・天王寺で、東京に行く時は大阪経由か、矢ノ川峠を越える連絡バスで尾鷲に出て紀勢東線の汽車に乗らなくてはなりませんでした。
 こんな不便なところですから、「病院」なんてありませんでした。
 開業医は結構ありましたが、医院で出来る処置には限界があります。
 と言う事で、先人達が目一杯頑張って病院を作りました。
 木本一町で出来る代物ではないので、当時の南牟婁郡が協力して国からの助成も貰って作ったのが、「南牟婁郡民生病院」です。
 設立は昭和23年(1948)、当時の南牟婁郡は21か町村もあったのです。
 「国保直営南牟婁民生病院」なんてものです。
 昭和55年(1980)に名称をいまの「紀南病院」に改めました。
 改めた「紀南病院」という名前は。田辺にも在ります。そちらも中核的病院らしいです。
 「紀南」「南紀」なんてのは。田辺から紀伊長島までの海岸沿い、150Kmほどの和歌山県側と三重県側に適用されるので仕方ないですけど・・・
 大きな病院の名前が同じなんて、あまり好ましいことでは無いですね。
d0045383_21401063.jpg

 これが、紀南病院本館です。
 前にも取り上げましたが、今回取り壊して新しい本館が出来ることになりました。
 この建物は50年経って、老朽化してきたし、耐震的にも問題があるためらしいです。
 コンクリートの建物って意外と寿命が短いですね。
 この本館は「民生病院」からの物です。
 下の写真はスプリンクラー設備の標識ですが、昭和53年度国民年金特別融資 南牟婁民生病院 と書かれています。
 こんな所に証拠を見つけました。
d0045383_21551130.jpg

 割合と近年まで、お年寄りの人はこの病院を「民生病院」と呼んでいました。
 私など、JRを国鉄とすぐに呼びますからね。
 正式名でなくても通じれば良いでしょう。
 「紀南病院」だと、田辺白浜方面の人だと阿田和の病院だとは思わないでしょう。
 「民生病院」も昔は他にもあったのですが今でもあるのでしょうかね?
                                   続く
     

  

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by je2luz | 2014-10-12 05:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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