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LUZの熊野古道案内

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2014年 10月 07日

熊野の旅 あの頃僕も若かった

 1964年10月10日 国立競技場・・・オリンピックの開会式
 その時、私は新宿御苑の芝生に寝っ転がっていました。
 そして、上空に、ブルーインパルスの描いた五つの輪が・・・
 勿論一人ではありませんでした。

 その夜、夜行列車で青森へ・・・
 11日は奥入瀬、12日は十和田・・・
 東京に帰り着いて、新宿の喫茶店で「東洋の魔女」の優勝の、あのあっけない結末を見ました。
 
 若かったですね。
 「神田川」の世界を生きていました。
 窓の下には神田川はありませんでしたが、すぐ近く・・・
 今と違い、学生アパートなどでは、銭湯に通っていました。
 先に出るのは私でしたね。

 その頃の熊野は「吉野熊野国立公園」の看板がまだ有効だったようです。
 旅人は列車で動きました。
 熊野市駅で降りた客はバスで鬼ヶ城へ・・・
 「松本峠」なんてどこにも出て来ませんでした。

 その列車の旅が大きく様変わり始めた時代です。
 なにしろ「新幹線」が走り出したのです。
 脇目もふらず目的地へ・・・
 でも、国鉄はまだまだ旅の楽しさを作ろうと考えていたようです。
 東海道線に「東海型急行」のビュッフェに寿司コーナーが付いたりしました。
 寿司を食うために乗ったことがあります。
 立ち食い寿司で明朗会計・・・勘定は麻雀の点棒でやって居ました。
 勿論、まだ、駅そばも健在でした。
 これは自動ドアになって駄目になっちゃったのです。
 駅弁は窓の開かない特急車両が出て駄目になりました。
 車内販売で駅弁を買うなんて通のやることでは無かったのです。
 早くなって快適に見えて「旅」が死んじゃいました。
 あの分厚い時刻表の欄外を見る楽しみなんて、今時の人には解らないでしょうね。

 今の人って、車窓の景色ほとんど見て居ませんね。
 ゲームとかメールとか週刊誌とか・・・
 通勤電車じゃあるまいし・・・
 まあ、カップルで並んで座っていても何も話さず携帯に熱中する連中が窓の外など見るはずないですよね。
 目的をはっきりさせて上げないと旅も楽しめない・・・
 「語り部」「ガイドトーキー」が無ければ、名所旧跡も意味不明・・・
 有名だと言われなければ興味も示さない・・・
 受け身、受け身の旅ですから、聞いた説明もすぐに記憶から消えちゃうでしょう。

 50年・・・
 やっぱり人間も変わったのでしょう。
 技術とかは進歩しても、人間ってそんなに進歩していませんね。
 生まれ変わるのでは無く、違うのが生まれて来ちゃいますからね。
 民族とか種とかの記憶になるなんて膨大な物の中のほんの僅か・・・あるかどうかも解らない程度のことで、リセットされて生まれたのが後を受け継ぐのですからね。
 進歩しないで変わるとなると、良い方とは限りません。

 40年前に「松本峠」「大吹峠」なんて峠がどっさりガイドブックに載って、主役になろうなんて動き出しました。
 何しろ200Kmを越すような長い道のりを「世界遺産」にしちゃいましたからね。
 うんと手を広げたら、ポイントが無くなっちゃった・・・
 ゆっくりなんかして居られない・・・
 便利になったから日帰りだし・・・
 名古屋からシャトルバスで古道歩きが日帰り・・・
 これって、「旅」では無いですね。
熊野の旅 あの頃僕も若かった_d0045383_0381841.jpg

 1964年10月12日 十和田湖 アグフアカラー
 随分色が変わっていますが、記憶の色はもっと鮮やかです。
 勿論、「夜行列車の旅」でした。
 
     

  

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by je2luz | 2014-10-07 05:08 | 熊野


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