LUZの熊野古道案内

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2014年 05月 21日

熊野の旅 棚田・山田・・・耕作放棄

 熊野市は・・・
 と、言うより・・・
 紀伊半島は平野がありません。
 地図で緑色に塗られた部分がほとんど無いのです。
 河口には平野があるものなのですが、熊野川河口の新宮がほんの少し平らなだけで、他の川にはありません。
 川沿いにも平野が出来るものですが、大河の熊野川でも、ほぼ全流域が渓谷です。
 つまり、農地・耕地があまり無いのです。
 だから、豪族も育たなかったし、大名もここを攻めようなんて考えなかったようです。
 「神武東征」でも、ここに兵を揚げただけで目的は奈良盆地だったようです。
 近代には入っても、鉱山とダムによる発電、森林資源利用のパルプ・製紙工場の他は国も使う気にならなかったようです。

 そんな所にも人は住み着いています。
 そして、小さな村を作ってきました。
 目立たない隠れ里のようなものですから、戦の度に落人が逃れてきたようです。
 旨く住み着けなくて死んでいったのも多いのでしょうけど、有名なのでは南朝の天皇なんてのまで落ちてきているのですから、この辺の血は雑多、ごちゃ混ぜなんでしょうね。
 混血は美人が多いと言いますが、大和民族だけの混血では美人は増えなかったのかな?

 こんな地形ですから、田んぼも畑も山を削って作られています。
 山間部はほとんど全部、段々畑と棚田です。
 眺めが良いので「丸山千枚田」は有名になり保存策が取られています。
 しかし、そこだって、今から20年ほど前にはほぼ壊滅状態だったのです。
 たまたま、県知事の目にとまったので息を吹き返したのです。
 農業が再生したのではなく。「観光」と言う名で復活させたのですが、名目はそうでも、どちらかというと「文化財保護」ですね。
 農業としては稲作でなくても、何を作っても採算は合わないでしょう。
 耕作を続けないと雑木も生え、石垣が緩んで棚田は消えるでしょう。
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 「丸山千枚田」は固まっていて、景観も良かったので今は救われています。
 熊野市中にある棚田は段々消えています。
 一時期より消える速度は鈍ったのですが、この先は高齢化ではなく、、高齢者すら居なくなるのでどうしようもなくなりそうです。
 田んぼに木を植える時代もあったのですが、木が育てば石垣が持たない・・・
 育ってくると集落が山の中になってしまいものすごく寂しい事になってしまいます。
 材木の価格も下がるし、せっかく植えた木を切ったところもありますね。
 田んぼは作れない、山にも戻せない・・・
 なんとも、恐ろしい光景なのです。
 おまけに、空き家も取り壊されずに朽ちるに任せ・・・
 古典、羅生門などに出てくる荒れ果てた都の有様???
 源氏だとそんな所にも姫様が居るのですが、田舎では・・・

 こんな風ですから、この先では集落自体が消えざるを得ないのです。
 農地を預かってくれる人も居なくなります。
 元の村単位で見ても、中心部に集まるしかないのですが、この集約化は難事業です。
 土地に執着心のあるのが農耕民族の宿命かな?
 それに、田舎まで及んでいた「土地神話」の名残かも知れません。

 日本の人口が急激に減る時代です。
 まだ何の手も打たれていませんが、そんな時代には「田舎に回る金」が激減するでしょう。
 国としては切り捨てる場所にするでしょうからね。
 いまだに建てている巨大ビルの始末にも困るはずですから・・・

 自給自足、自力更生・・・
 それが出来るのが「田舎」なんですが、それでも。集落がなくては・・・
 人間は「社会的生物」だそうですからね。

    
  
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熊野市周辺地図です


by je2luz | 2014-05-21 09:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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