LUZの熊野古道案内

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2014年 04月 22日

熊野の旅 熊野市の広さと地域の違い  2

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 さて、ここは何所でしょう?
 これを見てわかる人はかなり熊野市に詳しい人です。
 熊野市民でもほとんどの人はここに来たことはないでしょう。

 山奥深く、人の気配も無く・・・
 とっても良い空間があります。
 お弁当でも持ってくれば安らぎますよ。
 
 今日もここを通ったのですが、先客がありました。
 「鹿」さんでした。
 迷惑そうな顔をしながら下に下りて行きました。

 ここは「明倫小学校跡」です。
 場所は紀和町です。
 今は廃校になって居ますが、1970年までここに学校があったのです。
 
 紀和は鉱山の町だったのです。
 山の中に飯場が点在し、今でも坑口があちこちにあるという所なんです。
 だから、かつてはあちこちに人が住み、子供も居たのです。
 戦前戦後の鉱山が盛んだった頃には人口1万人を超えていたのです。
 今、平成26年4月1日になると、1273人になったのですから、廃墟が増えて当たり前なんです。
 それでも、集落は一杯残って居ます。
 この学校の下の方にある大河内では14人、キャンプ場のあった木津呂は17人という状況です。
 限界集落を通り越してきています。
 後白河上皇所縁の薬師堂があり、京都33間堂の棟木もそこから運ばれたという「楊枝」は28人です。
 人なつこいお年寄りが沢山住んでいるのですが・・・
 これから先、異常気象の影響も受けそうな感じです。
 共同生活すら送れない環境に追い込まれつつあります。
 観光とかの目で見れば、本当に良いところです。
 その目でしか見て貰えない僻地・・・
 行政だけでもきちんと見てやって欲しいものです。

   
  
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by je2luz | 2014-04-22 20:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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