LUZの熊野古道案内

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2014年 03月 28日

熊野の旅 鉄路復権なるか?

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 ワイドレンズで撮ったので、すっきり広々した光景ですね。
 紀勢本線熊野市駅前です。
 かつては紀勢西線の終着駅「紀伊木本駅」として、賑わった駅です。
 ここから先は時代によっては巡航船で、少し下ると、「国鉄紀南線」というバス路線で尾鷲に行くことになっていました。
 新宮方面からでも北に向かうには一旦ここで汽車から降りなくてはならなかったのです。
 終着駅、乗り継ぎ駅・・・
 全国あちこちにそんな所があり、それなりに田舎でも賑わったのです。
 不便だからこそ栄えたのです。

 汽車だって特急なんて田舎は走っていませんでした。
 だからたっぷり時間を掛けて旅をしたのです。
 そして、途中で泊ったのです。
 紀伊木本駅に降りる人のために、木本と井戸には一杯旅館があったのです。
 駅前周辺だけで5軒くらい、 町中にも7・8軒はあったでしょう。
 巡航船は夜走らないし、少し時化れば欠航しますから、嫌でも泊る、泊ると暇だから一杯飲む・・・
 大井川の渡しじゃ無いけれど、人の災難は稼ぎ時だったのです。
 矢ノ川峠をバスが越えるようになっても、2時間40分の悪路のバスですから、2時間40分掛かったのです。
 連絡バスと言っても、難行苦行・・・くたびれたり、連絡が無かったりでやっぱり泊る人が多かったのです。
 良い時代だったようです。

 紀勢線が全通し、紀勢西線・紀勢東線という呼び方が無くなった時から、この駅の斜陽化は始まったのです。
 華々しく祝ったすぐ後から町に入る他所の人は実質減ったのです。
 鬼ヶ城だって、バスを走らせたけど、乗客は乗ってくれなかったですね。
 ここが目的の人以外は汽車から降りませんからね。
 私などは、全通後すぐに東京に出ましたから、すごく便利にはなりましたけどね。
 夜行寝台に乗れば寝ている間に東京まで運んでくれるようになったのですからね。
 この頃から高校卒業後の進路方向が変わりました。
 大阪・関西への進学と就職が減って、東京に向かいだしたのです。
 私の学年はそのはしりですが、半分くらいは東京の大学になりましたね。

 二十年ほど前かな?
 紀勢東線だった尾鷲以北の細い線路と広い枕木を改良して、いきなり名古屋との間を30分あまり短縮したのは・・・
 早くなったので、こちらの人は便利になりましたが、時代は自家用車時代に入っていたので、旅客は増えず・・・
 その時も、田舎ではすごく期待したんです。
 
 高規格道路も同じですね。
 すごく早くなったから・・・
 今の所そんなに車は増えては居ませんね。
 朝晩の通勤時間を除くと、我が家から国道42号線にすんなり出られますからね。
 
 もうすぐ、この高規格道路が伸延されます。
 今は熊野の入り口、大泊で降ろされますが、伸びると熊野の出口久生屋・金山で降りることになり、合流する国道は311号線です。
 この道路は二年くらいで本宮まで二車線の道路になります。
 つまり、観光バスなどは、古の熊野詣の順路通りに、伊勢道から本宮道ルートになって、まっすぐ本宮に向かうでしょう。
 よほど奇特な計画で無い限り、わざわざ引き返して鬼ヶ城には来ないでしょう。
 残念ながら、高速道路を走ってくる人間の心理はそうした物です。
 一時間短縮したからって、途中で一時間道草はしないんです。
 東京見物に行くのに、昔より早いからって、静岡や沼津に寄りますか???
 
 続きがあるのですが長くなるので・・・

 
  
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by je2luz | 2014-03-28 05:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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