人気ブログランキング |

LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2014年 02月 28日

熊野の旅 「鬼」 怪物・妖怪・鬼神・物の怪

 ここは「神々の郷」などと言われますが、「鬼のふるさと」でもあります。
 「神々の郷」と言っても、他所の人が言う訳ではなさそうです。
 観光面で始めて目にしたのは、西地市長当時に観光開発のための企画が立てられ、コンサルタントが絵を描きました。
 その時に『神々の郷』というのが出て来ました。
 同時に使われたのは、飛鳥や五郷の『石垣の里』だったと思います。
 どれも日の目を見ずに消えていったのですが、『神々の郷』と言う言葉は残りましたね。
 『石垣の里』は県が作ったポスターなどの題材にはなりますが、キャッチフレーズにもならず、観光の目玉にもなりませんでしたね。

 『神々の郷』もわかったようなわからないようなキャッチコピーですね。
 日本最古の神社と呼ばれる物はあるし、古代信仰の名残はあるし・・・
 しかし、観光客を引きつけるような何かがあるかと言えば無いようです。
 マニア受けのするような、読めないような「〇〇の命」なんてのでは駄目ですよね。
 10月には日本中の神様が集まるなんて大変な言い伝えのある出雲でも取り立てて観光客が押し寄せる訳ではなさそうですからね。

 『石垣の里』も、確かに家の周りも石垣を巡らせた屋敷が多いのですが、日本の標準的山里の田舎です。
 平野部から来た人には少し新鮮かも知れません。
 奥吉野などの、「よくぞここまで積み上げて畑を作った」「こんなところに家を建てるか!」と言うほどの物では無いです。
 そこまで行かないと、本物の客引きには成れませんね。
 簡単に画像も由来も検索できる時代になって来たのでごまかしが利きにくいです。
 以外とごまかせるのが地元の人です。
 身びいきが入ってきますし、都会の人ほどあちこちを見て居ないことが多いのです。
 田舎の人は田舎を見に行っていません。

 もう一つのキャッチフレーズは「鬼の国」でしょう。
 これも知る人ぞ知るなのですが、大元の『鬼の元浦』=木本に始まって、「一鬼」=市木、「二鬼島」=二木島、
「三鬼里」=三木里 ・・・・・・「九鬼」まで揃っているのです。
 南牟婁郡・熊野市・尾鷲市にまたがっては居ますが、元締めはここ木本です。
 これはみんな「海賊」だそうです。
 海賊はひとたび戦になれば「水軍」です。
 戦国に活躍した「九鬼水軍」もこの流れです。

 海賊と言っても「カリビアン・パイレーツ」みたいな物じゃあ無いですね。
 荒れる海を避けて磯伝いに来る船から通行料をせしめる位でしょう。
 ライン川にもその為の城が点々と残っています。
 普段は漁師やったり農業やったりだったのだと思います。
 つまり、半農半漁の片手間に海賊・・・でしょうね。
 そして頭目は、その浦の長・・・豪族でしょう。
 時代によっては「野伏せり」「悪党」などとも呼ばれた集団だったのかと思います。

 まだまだ、地の豪族の力が大きかった平安時代に頭目をやって居たのが「多蛾丸」でしょう。
 そして、その時代はアイヌをはじめとする大和朝廷にたてつく可能性のある豪族種族を退治するために「征夷大将軍」なんてのを作った時です。
 「多蛾丸」は親井戸辺りに住んでいたのでしょうが、向こう意気が強くて「おまん等の言うこと、なんで聞かんならんのなら!」などと、都の遣いをこけにしちゃったのじゃ無いでしょうか?
 だから、坂上田村麻呂なんてのを派遣して、退治に来たのでしょう。
 神武天皇東征の時には二木島でも世話になったくせにねえ・・・

 何時の時代もお上にたてつくと、痛い目に遭わされるし悪者にされちゃいます。

 「大江山酒呑童子」などのような本物の鬼じゃあ無いから、姫様をさらっただとか言うような言い伝えは無いようです。
 悪者だと言いふらすのは朝廷側です。
 独自性を打ち出したいなら、この辺から立ち位置を変えないと駄目でしょう。
 独立運動までしなくて良いですけどね。
 
 海賊・・・
 南朝・・・
 西軍・・・
 それが我が熊野のご先祖様です。

 中央の史観とは少し違う視点で見ても良いのでは無いでしょうか?
 大層な物では無いですが、売り出せるのはそれくらいかも知れません。
d0045383_23473117.jpg


    
     ブログ村参加しました。 ポッチ よろしくお願いします。
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 三重県情報へ
にほんブログ村
    

by je2luz | 2014-02-28 05:45 | 熊野 | Trackback | Comments(3)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/20407367
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by kiwa at 2014-03-02 17:17 x
赤木城を観光スポットにどうかと言う話を聞きますが、あそこは、北山一揆の鎮圧の拠点として築城したとされています。高虎によって、多数の農民が田平子峠で斬首されてます。当地では「行たら戻らぬ赤木の城へ、身捨てどころは田平子じゃ」と、処罰の厳しさが歌となって残っているくらいでイメージがよくありません。城跡の近くにはその田平子峠刑場跡もあり、知る人は近寄らない場所ですから、観光として売り出すのにはハードルが高いかもしれないです。
Commented by je2luz at 2014-03-02 23:29
kiwaさんへ
 ***
 赤木城はさすがは高虎と言う素晴らしいものですが、戦国の戦でも民百姓は悲惨なものですが、ここの場合は食い詰めた百姓が立ち上がり、勝ち目の無い戦、密告などで惨殺されて死んでいった歴史の証人ですからね。

 そちらの視点に立った場合は観光化は難しいところもあるでしょうが、悲惨さを伝えるような金山の現場も蝋人形化されています。
 全国にあまり無い展示で、日本の田舎の歴史を打ち出すのもありかと思います。
 この地の先祖達の思いを伝えれば、霊も浮かばれるのかも知れません。
 ただ、主催者が今のように浮かれイベント屋になって居たのでは伝わらないでしょう。
 紀和鉱山だって遊び半分イベントをやっていますからね。
Commented by je2luz at 2014-03-04 01:10
 食わせるものも、相可高校の食堂以下かも・・・
 以下でしょう・・・


<< 熊野の旅 26年度予算案に見え...      熊野の旅 熊野・木本と多蛾丸 >>