以前にも書いたことがありますが、七里御浜は見事な松林だったのです。
ずっと大切にされてきて、痛められたのは、戦時中に「松根油」を採るという理由で一部掘り起こされたくらいでした。
「松根油」なんて分からない人が多いでしょうが、松に含まれる油分を蒸留して航空機の燃料に使用というもので、実用化には至らなかったものです。
ボルネオを手に入れても、油槽船がまともに本土まで来られない戦況下で苦し紛れにやった施策でしょう。
その大事にしてきた松林・防風林も戦後になりアメリカから来たという、進駐軍ならぬ松食い虫、本当は松根っこに食らいつく線虫によってどんどん枯れて行きました。
勢いの無くなった老木から枯れていったのです。
花の窟神社境内も松の大木が並んで居て、「お綱掛け」の綱も、その松の枝に掛けて居たのです。
私が高校くらいの時に掛ける松が枯れていったと思います。
そして、コンクリート製の柱に綱を掛けるようになったのです。
その頃に境内には松が植林され、今はそこそこ大きくなっています。
松というものは・・・
少なくとも、「松林」は人手を掛けないと育たないと言われています。
自然に見える、混植は松にとって厳しい環境なんだそうです。
他の樹木を排除し、枯れ葉でもあまり積み重ならないように、すっきりさっぱりさせるのが良いのだと学者さんは言っています、
なのに、戦後くらいからは七里御浜では営林署の管理で民間人は枝の一本も採取が禁止されました。
それが、松の勢いを落とし、松林の消滅を促進したと言われています。
花の窟神社の境内も混植状態なのです。
以前にも指摘したのですが、その方が自然に見えるのでそのままの状態が継続しています。
そんなに広い境内では無いので、細いうちに雑木類を排除するのは、そんなに大層なことでは無いのですが、見解の相違なのでしょうね。
手を掛けて残されている「三保の松原」などは雑木など無い、松だけの林です。
この「お綱掛け神事」の写真・・・
人数が少ないのの他に大きな問題が写っています。
後の松を見て下さい。
まだ老齢木でも無いのに「松食い虫被害」が出て、葉っぱが赤くなってしまっています。
これは立ち直りようがありません。
消極的対処法ですが、早急に切り倒して焼くしかありません。
写真でも分かるように、松は適当な間隔で育っているのですが、間は温帯性広葉樹でふさがっているのです。
松学者の言う、松にはきつい環境を人間が作り出しているのです。
綱を掛ける松を育てるつもりでも、そこまでの大木にするには育樹方が間違っているのですけどねえ・・・
私は部外者だし、大学教授でも無し・・・
改善はされないでしょうね。
悲しいことです。
私を信じないのか構いませんが、せめて、松学者に相談して欲しいものです。
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