LUZの熊野古道案内

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2014年 01月 27日

熊野の旅 新聞紙が活躍した時代

 タイトルの「新聞紙」は「しんぶんし」というより「しんぶんがみ」なんです。
 戦後しばらくするまでの日本では、新聞を取っている家は少数派でした。
 だってねえ・・・
 世間が飯を食いかねているのですから新聞を取るなんて贅沢だったのです。
 新聞が購読者の獲得に血道を上げだしたのは私が東京に出た頃ですね。
 つまり、昭和36年頃に始まっていたと言うことですね。

 それまでの日本では「しんぶんがみ」は大活躍していました。
 もちろんニュースを伝えるという役割でも活躍しました。
 「安保」「勤務評定」「百里基地」「砂川事件」「三鷹事件」「三井三池炭鉱事故」「近江絹糸争議」・・・順番は目茶目茶ですが、まだテレビより新聞の時代でした。
 しかし、その役割が済んだ「しんぶんがみ」はもう一回も二回も働いたのです。

 学校では習字の練習用になりました。
 練習用半紙なんて買える家はほとんど無かったですからね。
 新聞を取っている家の子は時々まとめて学校に持って行きました。

 そして、なんと言っても、弁当箱を包むのは「しんぶんがみ」だったのです。
 上品なハンカチなんかで包んでくるのは、お嬢様かお坊ちゃん・・・
 同じ「しんぶんがみ」が何日も使われた物です。
 昔の子も「みんなと一緒」でないと恥ずかしかった物です。
 でも、この辺には大金持ちは居ませんでしたね。
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 お店では何でも「しんぶんがみ」にくるんでいました。
 写真のように「さいれの丸干し」みたいな物が「しんぶんがみ」にくるまれるのは当たり前です。
 もっと生ものの「お好み焼き」「焼き饅頭」なんてのも「しんぶんがみ」でした。
 「パック」なんて無いし、「折り」では高くてしようが無いですからね。
 高級な「しび」とか「牛肉」は竹の皮で包んで、その上を新聞紙で包んでいましたね。
 それほどまで「しんぶんがみ」は使いよいの包み紙だったのです。
 たまに、「インクが体に悪い」なんて話しもあったのですが、死んだ人は居ないようです。
 そんな時代には、女の子の頭にDDTを真っ白になるまで降りかけ、大掃除の時には畳の下にDDTやBHCを敷き詰めたのです。
 ジクロロ・ジフェニル・トリクロロエチレン と ベンゼン・ヘキサ・クロライド
 今話題のマラソンよりはるかに毒性・発がん性の強い殺虫剤です。
 それでも、のみやしらみで発疹チフスになるよりはましだったのかも知れません。
 そんな物を腹一杯かぶせられた世代が、今長生きしている高齢者なんです。
 それを使わなくなった後の世代より長生きすると言われていますよね。
 「サッカリン」だって「食紅」だって「AF2」だって一杯食べたし・・・
 だからって、復活させなくて良いですけどね。

 「しんぶんがみ」のリサイクルの最後は「落とし紙」でした。
 トイレットペーパーなんて「進駐軍」なら使ったのかも知れませんが、日本の庶民は知りませんでしたからね。
 下水が詰まる心配なんてありませんでした。
 東京のど真ん中、早稲田の辺りでも下水が出来たのはオリンピックの直前ですからね。
 オリンピックをやるのだから世界に恥ずかしくないように作ったんです。
 飯田橋から下流、お茶の水辺りも「汚穢船」が走っていましたからね。
 今も昔も「新聞紙」はリサイクルの先兵だったのですね。
 色が悪くても変な「てんりょう」を加えていないパルプですからね。

 今の時代だと、さいれの丸干しなどを「しんぶんがみ」でくるくるっと包んで渡したら嫌がる人も居るかも知れませんね。
 でもねえ・・・
 変な漂白剤で白くした紙とか、「ホルムアルデヒド」がでるかも知れないプラスチックとかよりは良いのかも知れませんよ。
 ???
 ほどいたら「冷凍食品に農薬混入!」「魚にも放射能汚染」なんて記事が見えたらやっぱり嫌かな?

   
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by je2luz | 2014-01-27 06:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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