「サンマ」は正しくなくて、「さいれ」がこの辺では正しい呼び方だったことは書きました。
他にも今とは違う呼び方をしていた物が一杯あります。
方言が段々薄れるのは物の名前も変えられて行くからでしょう。
方言=田舎くさい=恥ずかしい なのでしょう。
熊野名物の一つ、「めはり寿司」は「高菜の寿司」ですが、これを昔の飛鳥人などは「バショバの寿司」と呼んでいました。
大きな高菜の葉っぱを「芭蕉葉」と呼んだのかも知れません。
バナナに近い「芭蕉」の葉ほどは大きくないですけどね。
それでも、今の上品な「めはり寿司」とは大違いの、本物の「眼張り」でした。
大きな葉っぱを丸々使い、丼一杯ほどの飯を包んで、ぎゅっと締めてありました。
握り飯でも寿司でも食ったらぽろっとこぼれるなんてのは、へたくそな握り方です。
弁当として山に持って行くのですから、そんな物では旨く食べられません。
その弁当のおかず?
無くて当たり前、「さいれのカンピンタン」が1/3匹も付いていたら金持ちだったそうです。
もちろん、「バショバの寿司」の中は麦飯です。
今のような白い「押し麦」では無く、大麦が丸まま入ったぐちゃぐちゃする麦飯です。
麦飯は健康に良いなんて格好付けて食べる今の麦飯とは大違いの代物だったのです。
一緒に炊いたら煮えが通らないので、麦だけ先に炊いた物を米に混ぜて炊いたのです。
麦が一割なんて贅沢できる家は少なかったようです。
その逆でも米が入って居れば「御の字」だったんだそうです。
大麦の麦飯は知っていますが、そこまでの麦飯は知りません。
中味が白飯になり、おかかが入ったりするようになる頃には「バショバの寿司」なんて呼ぶ人は居なくなったようです。
「さいれの寿司」の方がもう少し後まで生き残っていましたけどね。
食い物じゃ無いですが、今は「お通夜」と呼んでいますが、私が子供の頃だと「伽・とぎ」と呼ぶ人が多かったです。
今でもお通夜に包むのを「伽見舞い」と呼ぶそうですが、式自体の呼び方が変わったのですね。
「伽」と言うと・・・
「夜伽」となり、まるで違う意味が出てきますね。
先の通りのお通夜・・・死んだ人のそばで居てあげると言うのもありますが・・・
もう少し色っぽいのもありますね。
女人が殿方のそばで一夜を共にする・・・
えらく違いますね。
男なら、ごちゃごちゃしたお通夜より、好きな女人が寄り添ってくれる夜伽の方が理想でしょう。
死して後も一晩寄り添ってくれるような女人は今の世には居そうに無いですけど・・・
いやいや・・・
それだけ慕われる殿方が居なくなったのかも・・・
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