今日は阿田和へ行ったついでに紀和町に入りました。
紀和町の人のは叱られますが、木本から紀和までって結構遠いような気がしちゃうのです。
先月は新宮のかえりに楊枝に行きました。
阿田和のついでに紀和町って本当はちっともついででは無いんですけどね。
走り出したら10kmも20kmも余り変わらないんです。
私は前に市議会議員だった頃には、紀和町は別の自治体でした。
合併前には紀和に関する予算も議案もなかったですから、距離以上に「馴染んでいなかった」と言う事です。
今は、議案には紀和関連の物がどっさり出てきますし、イベントも一杯あるし・・・
出掛けることも増えていますが・・・
紀和と言えば山間の村・・・
このように高い山が迫っていて・・・
空も狭く・・・
なんてイメージもありますが、場所によっては確かにそうなのですが、紀和を流れる北山川は最下流部なんです。
よその大きな川のように下流だからと行って河川敷がものすごく広いなんてなりません。
でも、下流ですから海抜は下がります。
飛鳥の半分もないのですから、無茶苦茶寒くは無いのです。
こんな風に思うのは、ほんのちょっとだけ「町」になって居る木本人のイメージなんです。
鉱山が盛んだった頃は、柄が悪くても人口は木本より多かったはずです。
いまでも、鉱山の飯場?社宅?のイメージを残した町が残って居ます。
川の向こうの高台は「ズリ山・ボタ山」です。
社宅があった当りの下も「ズリ」なんでしょうね。
一杯ズリがあったはずなのに埋め立ては低いです。
12号関連水害では板谷周辺がザップリ浸かっちゃいました。
何事も無かったような感じですが、住んでいる人は心休まらないでしょう。
何しろ電源開発は因果関係を認めませんからね。
ほんの少し、今後は治水面も考慮すると言っただけです。
でも、それでも大きな前進なのですけどね。
法に保護された国策会社のやり方は。水力も原子力も同じ様なものです。
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