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LUZの熊野古道案内

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2013年 12月 18日

熊野の旅 山地と索道

 「索道」なんて言葉は聞いたことも無い人が増えているでしょうね。
 今でもひょっとするとスキー場辺りの施設には小さく書かれているかも知れません。
 文字の通りのもので。索・・・ロープで作った道です。
 つまり、ケーブルカーです。

 道路・新道ができて自動車が通れるようになるまでには日本全国にあったようです。
 人を運ぶためのものから貨物専門のものまで色々だったようです。

 私が記憶しているのは貨物専用、鉱石専用のもので、紀州鉱山、入鹿から延々と国鉄紀勢西線・阿田和駅まで鉱石を運ぶものです。
 一つ一つのバケットは大きくなかったようですが、数珠つなぎにロープにつり下げたれて居ました。
 片道10KMはあるでしょうね。
 阿田和の駅には大きなホッパーが用意されていて、引き込み線で無蓋車に積み込まれていました。
 今は払い下げられて道路と住宅になって居るところに施設がありました。
 阿田和駅はこの鉱石の積み出しがあるし、入鹿の鉱山関係の人間の乗り降りはあるし、結構大きな駅でした。
 汽車に「準急」なんてのがある頃には停車駅でしたね。
 今では紀南高校の生徒が主な乗降客でしょう。
 相互発着の電車区間と違い本数が少なく、近くに紀南病院があっても通院には使いづらいですしね。

 この辺りでは、熊野・尾鷲間の矢ノ川峠に道路が付くまではやはり索道が掛かっていたそうです。
 ものすごく急坂ですから索道向きの峠ですけどね。
 これは人間用の索道ですが、今のカーブルカーのような気の利いたものでは無かったようです。
 残念ながらこれは私は見たことが無いです。

 更に下北山方面にもあったのだとか・・・
 材木の搬出は今でもケーブルを張ってやります。
 今はそうしたものにぶら下がって現場に行くような危険なことはやらなくなっていますが、半世紀以上前だと 「野猿から落ちた」なんて話しもありましたね・
 石原産業の索道も人間が乗るのは禁止されていましたが、乗っかっちゃえばゆっくりでも阿田和までただで来れますから乗るのが居たようです。
 乗り場は無いのですから、途中の鉄塔とかで乗り移ったのらしいです。
 当然おちるやつが居ますよね。
 まさに自己責任だったのだと思います。
 今だと飛び移るところの写真を撮ってフェイスブックに載せて炎上???
 事故で索道を停めて業務妨害で弁償させられる???
 飛び移れるような管理をしていたと言って管理責任が問われる???
 おおらかじゃ無いですからね。
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by je2luz | 2013-12-18 10:27 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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