最近の傾向で、こうした問題を取り上げると攻撃されることもあるようです。
大久保の町で行われているような少しねじ曲がった国粋主義的な人が増えているようですからね。
戦前から戦時中にかけて当時は日本であると言われた朝鮮半島から多くの労働者が日本に渡ってきました。
その中には一旗揚げようと意気込んできた人も居たでしょう。
日本からも満州へ、中国へ、ハワイへと渡っていったのですからね。
国内で食えないから移民を奨励する一方で、鉱山や炭鉱など過酷な労働現場では労働力不足に陥り、一部では強制連行の様な事もあったようです。
そうした、労働者の一部が紀州鉱山にもやってきていました。
そして、命を落とした労働者も居たようです。
今でも蔑視されがちな人々ですから、もっと差別の激しかった時代にはどのように扱われたか推測できますね。
最下層の労働者として扱われたでしょう。
戦後、開放されて帰還した人も多く居たようですが、この地に葬られたままになった人も居ます。
英国軍捕虜は慰霊碑もありますが、朝鮮半島からの人については地元のお寺さんでは供養されたとも言われますが、入鹿ボーイズのようには行かなかったようです。
木本事件の件でもそうですが、こちら紀州鉱山の方も上手く解決できていないようです。
板屋の中心部に遺族の人たちが買い取った土地があり、そこに墓碑代わりの石が並んで居ました。
そして、その土地には普通通りの固定資産税が課税され・・・
「どうしてここに?」というような場所には違いありませんが、「どうしてあそこしか世話できなかったの?」とも言えますね。
「行政には責任が無い」とか言っているとか聞きますが、本当にそれで良いのかなあと思います。
行政は宗教には絡めませんが、大勢の人の命の問題でしょう?
気持ちを通じ合わせることも出来たのでは無いでしょうか?
木本事件の時には、行政に関わる人たちが、もう少し人道的に動いたのですが、当事者の方の都合とかでボタンのかけ間違いになった経緯があります。
紀州鉱山の方はもっと冷たかったとか・・・
こうした事実や現状もあるのですから、地元にまで隠したような形で史跡化、観光化して済ませて良い訳では無いでしょう。
何でも蓋をして活性化???
蓋が外れたらどうします???
私はこの動きを手放しで喜べない気持ちです。
人の気持ちも分からずに・・・
そんな観光では人の共感は得られないでしょう。
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