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LUZの熊野古道案内

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2013年 12月 05日

熊野の旅 半世紀前は・・・1

 隣の下北山村から以前ブログに載せた写真が欲しいという連絡があったので、ネガアルバムを見直していたら、今となっては珍しい写真がありました。
 先日、Face Book に出した写真ですが…
d0045383_812396.jpg

 この写真を見てすぐに場所が分かったのはこの近所で育った人でした。

 場所は手前が馬留・丸山で川向こうは松原です。
 真ん中の橋は「亀齢橋」で今は残っていません。
 緑橋などと同じように、高潮の時に閉める水門を持った橋です。
 今は下流に国道を作った時に水門を備え、海に向かっては河口閉塞を防ぐように「カルバート」と言われるコンクリート製のトンネルを作ってあり、亀齢橋は普通の橋に作り替えられました。

 向こう側に見える田んぼは埋め立てられて、ビジネスホテル・イオン・オークワなどが出来ています。
 見えて居るバスは三重交通でここが車庫でしたが、今は有馬の山崎へ引っ越しました。
 川の手前側の土手の部分がこの後、護岸を積み上げ、広く埋め立てられて一並び家が建っています。

 半世紀余り前、1960年当時です。

 この後ぐらいからバスがボンネット型から鼻の無いやつに変わって行きました。
 線路のこちら側も随分変わりましたが、駅裏は田んぼだったのが埋め立てられて住宅地に変わりました。
 今の赤坂辺りは熊野市が埋め立てて分譲したのですが、小金持ちが「子供のため」なんて買ったりして、中々家が建ちませんでしたし、今でも空き地が残っています。
 埋め立ての土はすぐ裏側の松田地の上から取り、今の木本中学校や松の木の住宅などを作りました。
 台風が来れば水に浸かってしまう田んぼだった井戸が、広大な住宅地に変貌したのです。
 高度成長に入っても田舎では労働力供給基地の役割が大きくて、人口の減少が始まりましたからね。
 当時の坪田市長は「坪田土地株式会社」と冷やかされましたが、赤字再建団体寸前だった市の財政をこうした事業で立て直したようです。
 田んぼが宅地になって目一杯の評価をし。課税したので固定資産税も大幅に増えましたしね。
 固定資産税が高くても、「俺の財産は坪何十万だ」なんて喜ぶ人が多かったのです。
 一時期はもっと都会の松阪より熊野市の方は土地が高かったくらいです。

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by je2luz | 2013-12-05 08:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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