LUZの熊野古道案内

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2013年 06月 30日

熊野の旅 熊野の上水道

 熊野市の水道の歴史は古いです。
 前にも書いたように、木本は黒潮が運んだ砂利が積み上がった土地の上に出来た町で、井戸を掘るのは大変な土質です。
 砂利浜に深い穴は掘れませんからね。
 
 江戸時代には、背後の山から延々と木製の樋で水を引っ張って石の船に貯めて使ったりしたようですが、いかんせん全く足りませんから町が大きくなれなかったようです。
 明治23年に木本に町制が敷かれた時、「西郷川・にしごうがわ」から土管で本町沿いに給水したのが最初です。
 この土管が粗悪品だったとかで作り直したのが明治36年だそうで、本格的上水道が出来るまで使われたそうです。

 近代式上水道が出来たのが昭和11年に起工した新田を水源とする木本上水道です。
 この時期にはまだ、田舎町では本格的な上水道が無かったのですが、水に苦労してきた木本ですから。町の命運をかけて計画したようです。
 計画書では「木本町及び有井村一円とし推定人口11.000人に給水する」とあります。
 この人口は今と同じかな?
 給水量は一人1日0.084立方メートル(3.0立方尺)という小さな物で尺貫法です。

 同じ年に木本と尾鷲の間の省営バスが矢ノ川越えで開通しています。
 紀勢鉄道が新宮との間で開通したのが昭和15年です。
 獅子岩や鬼ヶ城が国立公園になったのが上水道と同じ昭和11年です。
 ちなみに国会議事堂が出来たのも昭和11年で、木本上水道完成記念のスタンプを国会議事堂完成記念切手に押した初日シートがありました。

 このように、この頃に木本は大きく変貌したようです。
 「高速が出来て観光が変わる」というより、遙かに大きな変化だったでしょう。

 こうして出来た木本上水道は昭和の大合併の後、当初は給水できなかった旧有井村のほぼ全域のも給水するために井戸川の伏流水や大泊、宮川の伏流水、産田川の伏流水、大前池水源など拡充して行きました。
 昭和初期の生活と違い一人頭の使用量は桁違いに増えましたからね。
 そして、今年、新しい水源を確保するために井戸の田圃でボーリングが行われています。
 浄水施設、貯水施設から離れているので、目下県道七色峡線の道路を掘り返して管の埋設工事が行われています。
 人口が激減していても、水源の位置の関係もあり、能力の落ちた宇井の水源の代わりが必要なのです。

 水道って結構施設費が掛かる物です。
 耐用年数も長いのですが、何所の町でも昔設置した配管の老朽化が進んでいるし、今流の耐震構造の配管にしたくても金が無いのが実情なのです。
 あって当たり前の水なんですが、実態は大変なのです。
 一カ所壊れれば、その手前の止水栓から先は断水です。
 電線のようにバイパスはさせにくいのです。

 どこの町でもおそらくそうでしょうが、「インフラ」なんて呼ばれる物の中で一番大切なのに更新が遅れているのが上水道でしょう。
 土の中で目に触れませんしね。
 公示で止めても苦情が来るほどやりにくい物です。
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by je2luz | 2013-06-30 09:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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