LUZの熊野古道案内

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2013年 05月 20日

熊野の旅 昔の稲作 丸山千枚田

 丸山千枚田は急斜面に作られた「棚田」です。
 今流の水の使い方では無く、水は一滴残らず利用しようという物です。
 一番上の田んぼに届くように山の方から引っ張ってきた水路「みぞ」の水は田圃に入って下の田へ…そして更に下へ…
 その方式では届かない下の田圃には途中まで「みぞ」で送って、そこから順に下の田へ…
 水も肥料分も全部使い切る方式です。

 今の圃場整備はその逆です。
 一つの田に入った水は次の田には送らない…配水は「排水路」で川や湖へ…
 肥料管理も楽だし…と、言うことらしいです。
 今の土木でやれば水も確保しよいですからやれるのですが、やっぱり問題もあるようですね。
 田の配水には肥料分が含まれるし、そのまま流れ出るので下流は「富栄養化」しちゃうのです。
 この辺の川は流域の田圃が少ないので顕著では無いようですが、近江平野などは結構問題になっていたようです。
 最近は報道もされませんが…

 丸山千枚田はそんな贅沢な水の使い方は出来ませんから、耕作をする以上は昔からの通りです。
 山の田圃でも少し広いところは耕耘機を使いますが、丸山千枚田位狭くてまともな作業道も作れないところでは機械化は無理です。
 それが、「耕作放棄」の理由の一つだったのです。
 牛の時代でも牛すら自由に動けない…

 この田植えも筋が引いてあり、その引かれたマス目に従って苗を植えるのですが…
 このマス目を引く道具も普通のところのように幅が一間もあるような物は使えませんね。
 筋を引かない時は縄に印の付いた物を引っ張ってそれを目安に植えたところもあります。
 ここは刈り取りも手でしたから、狭い田圃は筋も無し、縄も無しで植えたかも知れません。
 今のオーナーさんでは目安が無ければ立ち往生するでしょうけどね。

 今は育苗箱で育てた苗を田圃に配って居ますが、これに変わる前には苗代(のじと)で育てたはずです。
 水の管理もしよいように家の前の田「門田・かどた」を使うことが多かったのですが、その苗だと、田植えの時に田圃に配るのも大変だったでしょう。
 抜いた苗は「藁」で縛って「目かご」に入れ、天秤棒(にないぼう)で担いで配るのは私たちの方でもやりましたが、丸山千枚田ではそれも大変でしょうね。
 担えば坂の上になる後ろのかごが地面に当たっちゃいます。
 ちょっとしたことでも大変ですね。
 肥料だって…
 主力の堆肥・牛小屋の牛肥などはかさばるし…
 農家でなかった人には考えも付かないほど大変だったはずです。
 私は農家?で育ちましたから、農作業を見て育ったのですが、山間部とは言え「平・だいら」と呼ばれる集落でしたから棚田とは随分違った作業風景だったのです。
 畦だって人間がちゃんと歩ける幅でしたからね。
 丸山千枚田でそんな畦を作ったら耕作面積がうんと減っちゃいます。
 ここであの農作業をやれと言われても…

 「文化財保護」「観光施設」として見るので無ければこうした「千枚田」などを残すのは無理です。
 それだけに、対象地を絞り込まないと何ともならないですね。
 熊野市中、棚田だらけです。
 日本中でしょう。
 残すのは、ここ、「丸山千枚田」だけで良いでしょう。
 それですら少し疑念もあるくらいです。 
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2013-05-20 09:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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