LUZの熊野古道案内

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2013年 02月 18日

熊野の旅 熊野市と高専

 少し前に「近大高専」が熊野を出て名張に引っ越して行きました。
 これは当然の流れだったのです。
 20年も前から分かっていたことが現実に起きたことなんです。
 「近大高専」は出来た時には「近畿大学付属・熊野工業高等専門学校」でした。
 名前から「熊野」が消えたのは引っ越す少し前です。
 その段階でいつでも引っ越す準備を整えていたと言うことです。

 このに半世紀ほど「高専」があったのですが、育てた人材は事実上一つの金型工場以外「工場」なんて無い熊野地方では生かされず、輸出していました。
 この地方の子供はまだしも、全国から応募してきた子供も、5年間熊野に居るだけで出て行きました。
 人材が居ても、工場は来ない…

 平地が無いーー土地が高い
 これが最大のネックだったかも知れません。
 日本中に工場がばらまかれた時代でもこの辺は候補地にもなりませんでした。
 紀伊山地が直接海に落ち込んで行くと言う地形上平野はありません。
 大きな川の熊野川の河口にも扇状地や平野はありません。
 まして、大きな川も無い他の地域には出来るはずも無いのです。
 熊野市や南牟婁郡の海岸にある、ちょっとした平らな部分は、黒潮が砂利を運んで積み上げた七里御浜の後ろに出来た沼地なんです。
 よそと比べれば広くないし…
 扇状台地とか沖積ちと比べても地盤は悪いし・・・
 無理矢理建てた建物は折れたり周囲が沈んで基礎が出てきたりなんです。
 そんな沼地でも、平地が無いから高いこと言います。
 山を削って作ったがちがちの工業団地が売れなくなった時代も、ここでは沼地をそれ以上の値段でしか手放さないと言ったのですから、工業進出なんてあり得ませんでした。
 住宅地でも松阪近郊より高かった…

 熊野で一番広いのが「山崎沼」です。
 でも・・・
 一つの火力発電所より狭いです。
 ヤマハの貯木場の何分の一でしょう?

 そんなことを棚に上げて…
 「工場誘致を…」と言う人も多かったですね。
 そして、日本から工場が逃げ出すようになっても同じ事を言い続けて…
 日本の国と同じで地場に根付いた産業には冷たくて…

 かくして、人材の供給源も消えました。
 今、手元に役所からもらった町別年齢別人口の数字を自分でまとめ直した物があります。
 毎月の月齢の所に出てくる人口減の元の部分が出ています。
 すでに、市内15歳の子供の数は160人を切ってきました。
 1歳児の頃には二桁まで落ちます。
 南牟婁郡も同じ様な数字になるはずです。
 これの意味することは・・・
 でも、本当の教育論議なんてされていませんね。
 遊木の学校も休校になります。
 浜筋を全部集めても一桁の児童数…
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 この頃だと飛鳥中学でも一学年二クラス80人を超えていました。

   
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2013-02-18 11:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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