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LUZの熊野古道案内

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2013年 02月 08日

熊野の旅 熊野のたどった道・日本のたどる道

 熊野市がほぼ半世紀でたどった道…
 高齢化と人口減少…
 まるで熊野市だけのように言われますが…
 日本全国。田舎は同じ道をたどっています。
 それを隠すように推し進められたのが「平成の大合併」ですね。
 比較しにくくなるし、ほんの少し高齢化率も下がるように見えます。
 熊野市も国の方針に従って合併を模索しましたが、合併できたのは、旧南牟婁郡の中の最も過疎の進んだ紀和町とだけでした。
 そして、ほんの一瞬だけ人口が増えたってだけです。

 総務省の統計だと、旧紀和町を含んだ数字で、1970年に32.909人となっているのですが今では19.012人です。
 確かに1/3消えていますね。
 その間は、人材・若い人を輸出して日本の人口は増えてきました。
 東京も昭和30年代に「800万都民」なんて言われたのが1200万までふくれました。
 だから、田舎が減るのが目立ちましたが、これからは様相が変わります。

 田舎が半世紀かかって歩んだ道を日本国が歩むのです。
 同じように半世紀ほどで人口の1/3が消えます。
 その意味が都会の人には判っていないようです。
 怖いから目をつぶっているのか知らない顔をしているのか…
 経済界も政界もマスコミも触れないようにしていますね。

 田舎の過疎が加速し始めた頃に、田中角栄は「日本列島改造論」なんてのをぶち上げ、一部ではそれに乗って大きな事業がされました。
 それがダメになってしばらくすると、「リゾート法」なんてのが出来て最初は、宮崎・三重・宮城だったかな?三県の指定だったのが全国29県かな?まで広げた構想がありました。
 その残骸?夢の跡?は全国あちこちに残っているようです。
 こうした計画は、利用者が居るかとか考えず、まるでそこだけが開発されて日本中から人が押し寄せるような青写真でしたね。
 熊野市でもご多分に漏れず、「日本列島論」の頃には馬鹿げたほどの観光開発の絵が描かれました。
 これは絵だけで済みました。
 「リゾート法」の時は最初の指定地域と言うことで意気込んでコンサルタント料や企画料を使って何枚も絵を描きました。
 ゴルフ場やフラワーパークやスポーツリゾート…
 そのおかげで金山小学校の敷地が狭く変形した物になりいくら説得してもダメでした。
 もちろん、ゴルフ場など出来るはずも無く、結果だけが今も残っています。
 当時、現職新人議員だったのでしっかり記憶しています。

 このリゾート法当時の計画の残骸が幽霊のように生き返ったのが「里創人・熊野倶楽部」ですね。
 おそらく、役人は別物だと言うでしょうけど、生まれては消えての経緯を見てきた私には「幽霊」としか見えません。
 そのときに計画された通学路兼用の道路はまだ出来ていません。
 あの施設があるうちに完成するのでしょうかね?

 田舎ではこんなのがあるのですが、大都会ではバブルじゃ無いと言いつつ、巨大商業施設やらオフィスビルが未だに作られていますね。
 田舎の遊び施設より作った段階で中小民間ビルとか商店街にダメージを与えて居るのに…
 そして、どう言う訳かマスコミまでそうした新しい物をもてはやしますね。
 パイが小さくなって居るのに…
 日本国も右の物が左に動くだけどころか、ぶんどり合戦なのにねえ…

 もう、田舎からはかっさらうものなど無いですよ。
 人さらいに来ようにもさらう子供は居ませんから…

 高速道路完成を口実にした公共事業も一杯しましたね。
 まるで、高速道路はここにしか無いくらいの期待論が出てきたり…
 これが出来たら…
 私の財布も少し松阪とかで口を開くことになるかも知れません。


   
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2013-02-08 09:53 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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