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LUZの熊野古道案内

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2012年 12月 20日

熊野の旅 熊野の屎尿処理 2

 日本では東京オリンピックの時まで東京都心でもくみ取り式便所だったのです。
 1964年ですからほんの少し前ってことです。
 パリなんてジャンバルジャンの時代には大下水道トンネルが張り巡らされていたのですからね。
 東京を始め多くの町ではその「汚穢」は海に投棄されていました。
 「海洋投棄」というもので、国際条約では早くから禁止されたのですが、日本はつい近年まで続けていました。
 この周辺で海洋投棄をしなかったのは熊野市だけと言っていいでしょう。
 先進的だったこともありますが、まともな港がなかったことも一因です。
 投棄用の船を係留して、くみ取り車が来る度に移し替えるのですから、漁港以外にそこそこ良好な船着き場がなくては駄目ですからね。
 目立ったのは串本の投棄線船着き場でした。
 国道脇にありましたからね。
 
 もともと日本では完全リサイクルシステムがありました。
 屎尿はくみ取られて農地に戻されたのです。
 江戸時代には小松川とかの百姓さんがくみ取りに回ったそうですし、近代になると東武東上線とか西武線は都心の汚穢を武蔵野の農地に運ぶためにしかれたと言われています。
 その理想的なシステムが壊されていったのが太平洋戦争の後です。
 「汚い」「くさい」「回虫の卵が居る」なんてことで嫌われたのです。
 そして、大企業が作る「硫安」なんてものが爆発的に普及したのです。
 日本の農地の地力が低下したのもその頃ですね。
 さすがに今では強酸性の硫安はあまり使われていないようですけどね。
 でも、リサイクルシステムは戻っていません。

 どこの町でも、陸上処理が遅れたのは処理場建設の反対が起きたからです。
 新しいところでは串本もそうですね。
 町の山手の方が候補地になったようですが、大もめにもめていましたがどうなったのでしょう?
 私がこのブログのために紀勢西線の写真を撮りに行ったときにももめていましたから・・・

 熊野市が芝園に焼却炉と屎尿処理場を作った頃、あの辺りは桃畑・ミカン畑・芋畑だったのです。
 そして後ろは山崎沼・・・
 久生屋の団地なんかありませんでした。
 当初の焼却炉など排ガス処理も何もない「野焼き」ニに毛生えたようなものでした。
 それを今流に換えたのが今動いている「荏原製作所」の炉です。
 きちんと、バグフィルターを備えたものです。
 そろそろ老朽化してきては居ますけどね。

 屎尿処理場の方の前回の補修はどこがやったのか記憶にないのですが、今回の新しいプラントは「クボタ」です。
 この式のものは、メーカーによってプラントの中身が違い、最終的に放出される水のきれいさが同じでも中身が随分違います。
  つまり、安いとか高いとかの比較がしにくいのです。
 それに、メーカーが少ないのでどうしても談合体質になりがちのようです。
 そんな裏の出来事も目にした体験もあります。
 余分な税金も消えるでしょうけど、手に負えません。
 今回はあまり関与していないのでどのようか経緯か分かりません。
 言えることは・・・
 新しいプラントの方が排水がきれいであろう・・・と言うことです。

 次の起きるのは・・・
 排水パイプのすげ替えでしょうね。
 かなり老朽化していると思いますから・・・

 これは旧熊野市、熊野市議会環境対策特別委員会の調査の結果から分かっている範囲のことです。
d0045383_1016415.jpg


     
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-12-20 10:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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