LUZの熊野古道案内

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2012年 11月 29日

熊野の旅 木本町から出て行ったもの

 木本町はこの辺りの中核として栄えた町です。
 どちらかというと林業などを中心にした商業の町だったのです。
 市街地面積は600m×400mほどしかない狭い町なのですが、江戸時代の「奥熊野代官所」以来、公の機関が置かれる土地でした。
 近代になっても、地理的な背景もありそうした物は木本の作られたのです。
 しかし、時代が進むと、小さな木造建築で間に合っていたそのような機関も大きな物が必要になるし、古い町並みにねじ込まれていた公共的な物はどんどん出て行きました。
 少し前に書いたように、昭和30年代からは、駅前・駅裏などの沼地や遊水池が埋め立てられ、広い敷地が用意されて、流れは加速しました、

 役場・市役所ー合併暫定時は木本ー井戸丸山へ…(払い下げ)
 裁判所ー井戸赤坂へ…(市民会館)
 県事務所ー井戸井土へ・・・(県職員住宅)
 職業安定所ー井戸赤坂へ・・・(払い下げ)
 警察署ー井戸井土へ…(払い下げ)
 郵便局ー井戸赤坂へ…(木本会館)
 電電公社ー井戸丸山へ…(払い下げ)
 中学校ー井戸松の木へ・・・(払い下げ分譲)
 百五銀行ー井戸丸山へ(商工会議所)
 紀南信用組合ー井戸井土へ・・・廃止(払い下げ)
 新宮信用金庫ー井戸井土紀南信用跡へ・・・(払い下げ)
   (  ) は跡地の現状です。
 まあ、よくも狭い町にこんなに詰め込んであった物だと思います。
 残っているのは
 木本小学校・木本高等学校
 第三銀行  位です。

 どこの町でも、旧市街という物は手狭になり近代的なこうした機関を入れられないので出て行かれるのです。
 土地は割高…隣地は売ってくれない…
 そして、寂れて行く…
 このパターンです。
 熊野市も昭和30年代からの埋め立ては熊野市の都市計画で行われたので、まあ、計画通りに移転完了したわけです。
 ただ・・・
 当時の熊野市の思惑とは違って、地方都市は浮上することなく過疎への道を転がり落ちていったと言うことでしょう。
 土地神話だけはこの熊野でも幅をきかせ、駅裏の土地など津や松阪より高いと言われた時代もあったのです。
 そんなところに店を引っ越せる商店もないし…
 駅裏のメインストリートが商店街になることは一度もありませんでしたね。
 熊野市駅から駅裏に出る改札口を作るべく、用地は確保されていました。
 知る人は少ないですが、駅裏にある、意味も無く広い道と不自然な広場は「熊野市駅赤坂口」になるはずだったのです。
 それを作るほど通勤客も見込めないし立ち消えになったのです。

 このように抜け殻になった木本に残された過去の栄光の証は、「奥熊野代官所」の跡にある「代官松」の切り株だけかも知れません。
 防腐処理はしてありますが、いつまで残るやら…
d0045383_9551772.jpg


    
熊野市周辺地図です
 
 

by je2luz | 2012-11-29 10:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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