LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2012年 11月 24日

熊野の旅 井戸はまだ若い???

 井戸町は昭和の大合併までは「有馬」と一緒になって「有井村」でした。
 長尾山から花の窟につながる下り尾根で完全に分断されているのに同じ村になっていたのです。
 地形的にはくっついている木本と一緒になっていなかったのは、江戸時代に紀州藩の班分けで井戸は新宮藩になり、木本は紀州本藩に残ったと言う、国違いだったこともあるでしょうね。

 井戸は紀伊木本駅(熊野市駅)の裏に大きな沼のような水田と駅前の沼と井戸川対岸の沼水田が大部分で、民家は海岸沿いの松原と山の裾に張り付いた松田地とか馬の戸なんてところにしかないところだったのです。
 駅前が昭和30年代前半に埋められ、駅裏が後半に埋め立てられ、更に対岸も二回にわたって埋められて、新興住宅地、官庁街、学校用地になって行ったのです。
 つまり、戦後に開かれたニュータウンです。

 熊野市の都市計画で作られたもので、道路もそこそこ広く、路地裏の無い町です。
 分譲が始まったのは駅前の丸山町が伊勢湾台風の前、駅裏・赤坂が私が東京に出た頃です。
 安くは無かったですね。
 沼とはいえ、造成にはお金も掛かるし、熊野市には金が無かったので不動産業的に稼ごうとした節もあります。

 こんな風に戦後開かれて来ただけに、人が住み着いたのもその頃です。
 つまり、井戸町民の多くが一世か二世なんですね。
 未だに家が建っていない土地が多く見られるのが、「田舎らしい」ところです。
 「子供のため」といって買ったけど子供は他所に行っちゃった…
 「財産に」と買った土地も、課税不動産評価は高いけど、最早まともに買う人も無し…
 それでも、木本に比べれば人口も多いし、年齢も少し若いですね。

 と、言うことで…
 昨日の井戸の祭りを覗いて来ました。
 浦安の舞の舞姫の数も多いですね。
 境内で遊んでいる小さい子供の数も木本神社の時よりは少しだけ多いです。
 「新興住宅地」が高齢化するのはまとまって入植しているので一度に進むと言われますが、田舎の新興地では他所の町から働き盛りがどっと入ってきた訳ではないので、緩やかな進行状態のようです。
d0045383_1059572.jpg

d0045383_1101550.jpg


    
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-11-24 11:00 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/17217810
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 やっぱりすごい動員力      熊野の旅 イベントと無形文化財 2 >>