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LUZの熊野古道案内

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2012年 11月 19日

熊野の旅 奥熊野代官所は今・・・

 木本は紀州藩のはずれの方にあり田舎ですが、徳川御三家のものすごく広い紀州藩統治の為、「奥熊野代官所」が置かれた所です。
 この代官所からでも、端っこの紀伊長島までは車でも一時間、今のルートでも二つの峠越えです。
 軍事的にはさほど重要性は無いですが、漁師や農民の揉め事の解決や年貢の取立てなど仕事は結構あったようです。
 
 その代官所も明治になると役目がなくなりました。
 廃藩置県の過程で、熊野川と言う大きな区切りがあったことで、鵜殿から北の町村は新宮藩・紀州藩から切り離されて、「度会県」「三重県」へと編入されました。
 熊野川が無かったら、あのまま和歌山県に入っていたでしょうね。

 代官所跡には学校が作られました。
 木本小学校になる学校です。
 運動場は町の資産家の田圃を貰って埋め立てたようです。
 校門の脇には「代官松」と言われる、松の巨木が立っていました。
 代官所にあった松です。
 この松は今から20年余り前に松くい虫で枯れ、切り倒されました。
 いまは切り株だけが残って「旧代官所跡」の看板が立っています。

 代官所の建物のあった場所には校舎と講堂が建てられていました。
 過去形で書くのは、老朽化してきて手狭だった校舎を建て替えるときに、金がないとかでこの部分を売り払ったのです。
 新校舎は運動場に鉄筋三階建てでつくられ、それ自体もすでに老朽化して来ています。
 今は耐震工事とやらで無粋な徹の構造物が添えられた物になっています。

 払い下げられた所には、「天理教南紀大教会」があります。
 壮大な社殿と宿泊施設を持ったもので、木本では一番大きな建物でしょう。
 天理教は他所に出て行っても、所属していた協会へ残るとかで、遠くからでもお参りに帰ってきているようです。
 ここのは「大教会」ですが、こうしたシステムからでしょう、他所の町に、「南紀大教会」の支所のような「分教会」がありますね。
 そして、本部の天理には本部にお参り行ったときに泊る、「詰め所」と言う物があります。
 何しろ教会ごとにつめ所を持っていますから、天理は詰め所だらけです。
 まさに、門前町って所ですね。

 この「天理教南紀大教会」ではこの11月24日に大きな行事があるようです。
 この教会の設立から120年だそうです。

 このお祭りには、何代目になるのでしょうか?
 「真柱」と言われる天理教のトップも来られるとかで準備が進められているようです。
 この辺では天理教の信者さんも多いですし、他所へ行ってもここの所属と言う仕組みから、多分、ものすごい数の参拝者が集まるのでしょうね。
 生半可なことでは宗教に勝てるイベントは出来ませんね。
 いい気なお祭りも宗教なんですよね。

 それにしても、天理教のパワーには驚かされます。
 既成の宗教では中々こうは行きません。
 でも、天理教も、もう、新興宗教ではないのですけどねえ…
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2012-11-19 10:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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