LUZの熊野古道案内

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2012年 11月 09日

熊野の旅 三重県は田舎 熊野はもっと田舎

 昭和の大合併でここも「市」になりました。
 「合併特例法」で市になる要件が人口5万から3万に緩和されたので、全国に一杯市が生まれたのです。
 隣の尾鷲市なども同様で、村や町を寄せ集め、3万人を確保して「市」を名乗ったのです。
 人口増が続いて市になるのではなく、まさにお寄せ集めのつぎはぎだらけの市が多かったのです。
 表札の住所が変わったのと、「役場」が「市役所」のなんて鉄筋コンクリートの建物に変わっただけです。
 こうして産まれた市を「新市」と呼んでいました。
 それまでの市は人口も5万を越した「ちゃんとした市」でした。
 三重県では津とか四日市などはまともな市ということです。

 三重県は「関西」だったり「東海」だったりするところです。
 その二つに挟まった場所で、近鉄沿線などは名古屋の住宅地、大阪の住宅地どちらもあるということです。
 四日市市は四日市港を抱えて、コンビナートが作られて公害と共に反映したこともあります。
 鈴鹿市は自動車産業とかサーキットで少し有名になったこともあります。
 近年ではシャープさんのおかげで亀山や多気が賑わったこともあります。
 でも、なんとなく半端になって、未だに三重県と言えば「真珠」に「赤福」なんてのが浮かぶことが多いようです。
 「地名しりとり」なんて番組で、「三重県の地名が出たらゴール」なんて簡単そうなお遊びで何年も番組が続くほど決め手に欠ける県なのです。
 言うなれば「田舎」なんですね。

 ここ熊野からは「近代高専」が出てゆきました。
 廃校ではなく、移転して行ったのは、この三重県が田舎と言うこともあります。
 移転先は「皇學館大學名張キャンパス」が廃校になって、まだ新しい校舎が宙に浮いていたからです。 例によって、「大学誘致」で伊勢にある「皇學館大學」の分校を名張に作って、お客が来ないので潰れていたのです。
 そもそも、母体の「皇學館大學」と言う物は歴史は歩けど知名度はどんな物やら…
 今度は「三重中京大」と言うのが廃校になります。
 県内に居てもこんな大学は知りません。

 戦後、「駅弁大学」と言われる大学がありました。
 各県に最低一校の大学を…ということで国立大学が出来てゆきましたが、「駅弁を売っている町には大学もある」なんてことでこんな風に揶揄されたのです。
 でも、それらはまだ良いほうですね。
 貸しビルを借りて大学を作ったり、田舎の自治体が大金を掛けて誘致したり…
 そうした学校も田舎ではお客が集まらないようです。
 そもそも、学力以前に「大学生活」に憧れる子供が、何も無い田舎で満足するでしょうかね?
 私なら嫌です。
 そんなお客さんの心理も考えず…
 単純に「勉学に励む」「学究の徒になる」と言うのなら静かで、合コンの会場も無い所が良いでしょうけどね。
 一流大学の学生さんでもそんな人は少ないですよ。

 「IT産業はどこででも出来る!」などと、はやし立てた時期があります。
 青森県や北海道と言った邪念の入らない所へ出て行ったベンチャーもあったようです。
 開発技術者だって「ソフト開発おたく」ばかりじゃないんです。
 給料がよければ遊びたくもなります。
 研究施設と飲食店街、風俗店、出会いが期待できる大学生やOLまで揃えて置かないと駄目でしょう。
 田舎ではそれが揃いません。
 三重県ではほぼ全域で揃わないのです。
 若い人には魅力が無い…

 でも…
 そうした現状、立地などには目をつぶりたい物のようです。
 「理想論」ならまだしも「空想の世界」になっちゃいます。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-11-09 10:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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