LUZの熊野古道案内

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2012年 10月 19日

熊野の旅 昔の木本と周囲の村々

 今の木本からは三方向に道路が延び、簡単にどこへでも行けます。
 でも、ほんの少し前まではそうでもなかったのです。
 一番簡単そうに見える新宮方面でも、「井戸川」を渡るのも大変だった時代もあります。
 井戸川も河口が閉塞するような川だったので、河口部を徒歩で渡った時代もあったのです。
 当然のように流される人が出たようです。
 洪水になれば当然渡れませんしね。
 少し上流にゆけば渡れても、人間って遠回りが嫌いですね。
 井戸川の次の難所が、なんと、獅子岩・人面岩だったのです。
 今は国道がほとんど起伏もなしに獅子のしっぽ部分を抜けていますが、昔はここには道はなかったのです。
 よく見ればわかるのですが、この部分から花の窟の間は崖のような山が浜まで伸びています。
 近代になってこそ道が作れたのですが、昔は不可能だったのです。
 旅人はいったん浜に降りて抜けて行ったのです。
 越後の親不知ほどではありませんが、台風など近づくと獅子岩の根元まで波が来る時もあったわけですから、波の合間に走りきらないと・・・

 次が志原尻・・・
 川の度に難所というのはどこの街道でもあった話ですね。

 今度は北に向かうとすれば、国道42号線も新道ができたときは「評議峠」越えでした。
 隣の「泊村」へ行くのは、今の世界遺産「松本峠」を越えたのです。
 ここに新道ができたのは、昭和に入った時です。
 木本事件という痛ましい事件があったのがこの「木本隧道」の工事現場で、1926年だと思いますから、完成はそのあとです。
 つまり、大正時代には泊村は遠かったのです。
 昔の人は坂道を苦にしませんから一時間の距離は大したことなかったでしょうけどね。
 
 飛鳥村への評議越えも新道は曲がりくねっていますが、歩く街道は斜面をほぼまっすぐ登っています。
 子供のころにはこの道を使って歩いて映画を見に来たこともあります。
 山越えってまっすぐになるので結構近いのです。
 
 昔から木本は中心だったわけですが、大正・昭和に入るまでは細切れにされた地形で大変だったようです。
 鉄道の紀勢西線、新宮ー紀伊木本が開通したのも昭和15年ですからね。
 
 このように昔は隣村にゆくのも大変だった訳です。
 こんな道を、お遍路さんは「熊野詣」に来たわけです。
 江戸時代でも整備されていたのは五街道とかの幹線だけだったはずですからね。
 明治になっても田舎はこんな調子だったのです。
 江戸や上州などからきて、松本峠を超えた時に初めて見える熊野三山の山々…西日がかかって霞む様子はさぞかし神々しくありがたかったでしょうね。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-10-19 10:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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