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LUZの熊野古道案内

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2012年 10月 15日

熊野の旅 熊野・今昔

 十年一昔…と、言いますが、先端技術とかで無いと十年では様変わりするということは少ないです。
 でも、その積み重ねで二十年・三十年…五十年…と、なってくると、世の中、せいかつようしきなどもかなり変わってきますね。
 人の着ているものも流行が繰り返しながらでも変わって行くようです。

 そこそこの切れ目に感じる「四半世紀」に区切って考えると、この田舎町では何が変わったでしょう?
 私が最初に議員になった頃です。
 木本小学校の児童数はかなり減っています。
 もちろん熊野市全体も同じことで児童数も人口も減っています。
 総人口が減っても年寄りだけは増えています。
 本町や記念通りとかを歩いて確実に増えたのは「空き地」です。
 空き家を通り越して取り壊されてしまうのは、建物が古いということと、「京都の町屋」ほどムードもないし、共通点は間口が狭くて暮らしにくいし新しく家を建てることの難しい敷地だと言うことからでしょう。

 半世紀前になると、紀勢本線が全通し、紀伊半島南部が「これでよくなる!」と、沸いた頃です。
 今の高速道路と違うのが、行政だけが騒ぎ立てるのではなく、町全体が期待で一杯だった所でしょう。
 片方で、「国鉄紀南線」と言う連絡バス路線が廃止されました。
 巡行船も消えてゆきました。
 この時期が、木本町の重要性が大きく低下した時期ですね。
 宿泊客や食堂の利用者が激減し始めたわけです。
 「朝日館」「日の出館」「よし住」「酒甚」「亀齢館」…もっとあった「宿屋」が少しずつ閉鎖されました。
 観光客が増えて町がよくなると言ったはずなのですが…
 交通の便が良くなれば途中の町は寂れるのです。
 東海道も江戸時代には「五十三次」などといわれて、一杯の宿場が賑わったのですが、いまの新幹線や東名高速でいったいどれだけの人が三島の宿や掛川の宿に降りてくるでしょうね?

 銀行も木本から消えました。
 他に消えたのもには「洋裁学校」「編み物教室」「珠算学校」なんてのがありますね。
 海のそばの漁場なのに「魚屋」もほとんどやめちゃっています。
 「下駄屋」はもちろん「履物屋」も残っているのは一軒だけかな?
 婦人服屋も消えましたね。
 とにかく、業種が揃っていなくなったのです。
 山間部より不便なのは「移動販売」が回っていません。
 あと三ヶ月ほどで「オークワ・熊野店」が木本から出てゆきます。
 ドーナツ現象ではないんですけどね。

 高速道路が「最後のチャンス」と言って、公共事業での箱物つくりが進んでいます。
 たしかに、金をつぎ込む最後のチャンスかもしれませんね。
 今度の部分開通はまだしも、先般発表された「高速道路延伸」が実現する時は、観光地としての熊野に引導が渡される時、終焉の時かもしれません。
 まだ、二十年ほど先で、それを作る金があるのかどうかもわかりませんけどね。
 日本の人口も現象が実感されて国民は観光と言うような気分で無い時代かもしれません。
 ???
 そこまで落ち込めば、「熊野信仰」が復活するかも…
 でも、「お遍路さん」としては来ないで、「日帰り熊野三山巡りの旅」なんてのになって、熊野市どころか勝浦にも金の落ちない物かもしれませんけどね。
 それまでの短い期間に元を引かなくっちゃあね。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-10-15 09:13 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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