昨日の続き…
11月3日土曜日・祭日にもあちこちでお祭りやイベントがあると思います。
私が知っているのは、「飛鳥神社秋の例大祭」と「紀和町ふるさとまつり」です。
飛鳥神社の祭りは「村の鎮守様の祭り」ですね。
ついでに七五三のお参りも行います。
この七五三は飛鳥在住ではない子供も来ているようですね。
神事・神楽・浦安の舞…典型的な村祭りです。
当然のこととして、「餅ほり」もあります。
と、いうより…
『餅ほり』が一番の呼び物のようです。
紀和の方は、鉱山があった頃からの祭りのようです。
こちらは物産販売とかもあるようですし、抽選会もあるとか…
こちらも、「餅ほり」があります。
飛鳥神社とぶつかるので一度も行ったことはありません。
会場は紀和町の中心、板屋の「海洋センター」周辺だそうです。
ひなびた村祭りを見たければ「飛鳥神社」、今流のイベントを見たければ「紀和町ふるさと祭り」へ行けばよいでしょう。
他にも、このシーズンは祭りだらけです。
明治時代に、それまでどっさりあった神社を統合させたとか言いますが、少なくとも一つの村に最低一つの神社はありますし、田舎の神社の秋祭りは刈入れ後に行われてきたのでこの時期ですからね。
『新嘗祭』なんて皇室の大祭も11月23日ですからね。
明治以降戦時中に掛けて、鎮守様の主祭神に「天照大神」が座られる所が増えたそうです。
日本には「八百万の神」が居られるので、元々は随分色んな神様が分担して村々を守っていたようですけどね。
中には「守ってくれる」のではなく、「封じ込めた」なんてのもあるそうです。
十月に出雲の国に集まって会議だか宴会だかして、11月にはお祭りが多くて…
お祭りの方は、「献饌の儀」で蓋をとってもらったお神酒もその後の「祝詞奏上」だとか「玉串奉奠」なんて行事の間に飲まないとすぐに「撤饌の儀」となって蓋をされてしまいます。
神様も深酒している暇は無いですね。
「餅ほり・餅撒き」と言えば…
昔は撒く餅の中に大きな物が入っていたり、小さな俵に入った物があったりしたようです。
紙に包んだお金「おひねり」もありました。
南牟婁・市木では今でも「俵」に入ったのがあるとか…
中身はお金で厄年にちなんだ金額で、これを奪い合うのが大変だとか聞きました。
取った若い衆はラグビーのごとく抱えて家に走って帰るんだとか…
普通の餅撒きは昔に比べ随分おとなしくなっています。
お年寄りばかりになって、自分がこけることはあっても他の人を踏み潰すことは無いですからね。
熊野市周辺地図です
tabi