LUZの熊野古道案内

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2005年 09月 02日

熊野の旅 番外 廃藩置県と吉野・熊野

 吉野郡の大部分を占める山間部は天領であったようです。と言うより、こんな地形のところをわざわざ欲しがる殿様も居なかったでしょう。天領であったので明治維新前夜には十津川から十津川郷士と呼ばれる半農の武力集団が京に登り、天皇警護という名目で随分暴れまわったようです。そうして集団の一部に天誅組があり、その足跡は下北山村にも残っているようです。下北山村浦向にある母方の菩提寺の山門には刀傷が残っています。
 こうした急峻な地形で他との結びつきもさほど強くなかったのでしょうか、廃藩置県の時しばらくは下北山村などは堺県に所属していたようです。どちらかと言うと行き場所が無かった感じかも知れません。これは同じく母方の家の書類で知りました。最初の電気は今は関西電力に合併成長した『宇治川電気』だったようです。
 熊野のほうは御三家『紀州藩』の端っこに位置していました。この紀州藩はこれまた広いものでした。紀伊長島町までですからかなりのものです。
 広すぎたのでしょうか、新宮との境に大きな川『熊野川』があるのを丁度良いとばかりにこちら側は切り離されて、伊勢、藤堂藩などと一緒にされ、三重県になってしまいました。今でこそ、道路も通じ、鉄道も通じていますが、切り離されてから昭和35年までは県庁からは地の果てのようなところでした。三重県のお荷物、と言うより紀州に見放された場所でした。
 言葉、食べ物全てが紀州そのものでした。しかし、100年の長い年月が徐々に熊野川の東側を三重県になじませてゆきました。
 吉野郡各村も天領から奈良県へ、当初は筏下りなどもあり経済的には下流の新宮・熊野と強く結びついていたのですが、これも徐々に奈良県中心部への帰属が強くなっています。
 このように歴史も変って行っています。さらにこれからの100年はどう変えるのでしょうか。人が変る前に、人が居なくなるのかもしれません。
 そして、熊野は再び海の底に・・・


by je2luz | 2005-09-02 05:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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