LUZの熊野古道案内

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2012年 08月 28日

熊野の旅 産田神社・産田川・産田橋

 熊野市の世界遺産めぐりは自然信仰的な色合いの強い物しかないのでポイントが少ないです。
 宗教施設というと中世以降の立派な神社仏閣を連想する向きがありますからね。
 「古代」と言うと、近年予想復元された「出雲大社」なんて巨大な物を思い浮かべますしね。
 本来はここが世界遺産になっているのは、世界遺産の名前「紀伊山地の霊場とその参詣道」の最後の部分、「参詣道」ですから何も無くて当たり前ともいえます。
 街道として整備を始めたのは早いようですが、軍事的にも重要性の低い物ですから、東海道・中仙道などと言った五街道だ何だと言うほど立派ではないですね。

 日本書紀の神話時代には、ここ熊野も日の当たる所だったようです。
 その中心も、新宮・那智勝浦ではなく「有馬」だったようで、神々はここに住んでいたようです。
 その中心が、熊野市有馬町奥有馬なのでしょう。
 となると、その生活を支えたのが、「産田川」と言うことになります。
 そのほとりにあるのが、「火の神」が産まれた「産田神社」です。

 産田神社の川向にあったのが「近大高専」で今は名張に移っています。
 校舎や寮などの建物はそっくり残っています。
 学校と言う名目ですから今は非課税ですが、学校として使わないのなら課税対象になります。
 この土地は、半世紀前に熊野市民が寄付を集めて買い取って、熊野市経由で近大に寄付した経緯がある物です。
 当時の近大総長・衆議院議員世耕耕一さんとこの辺りとの繋がりで誘致できた学校でもあったのです。
 
 この産田神社と近代高専の間に流れる「産田川」に掛かるのが「産田橋」で、高専の学生のほとんど全員が渡っていた物です。
 この橋は、昨年の12号台風で流されました。
 産田川に流れてきた立ち木が引っ掛かったのが原因で高専側が大きくえぐられました。
 普段は水量も少なく流れも緩やかな川です。
 江戸っ子は「神田上水」で産湯を使ったのを自慢したようですが、神様はここで産湯を使ったのです。
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 今はきれいさっぱり片付けられています。
 仮設の橋も無いのは高専が無くなって必要性が少ないからでしょうね。
 しかし、ここを走っていた路線バスもこの橋がないのでこなくなっていますから、この周辺のお年よりは不便をしています。
 でも、そうした住民の数が少ないので中々対処されません。
 早い復旧しか対処法は無いようです。

 この写真の川の部分に、小さな入り江のようなものが見えますね。
 これは昔ならこの季節、どこの川でも見られた物です。
 子供たちが作る魚を捕るためのものです。
 魚をここに追い込んで、誰かが横倒しになって入り口をふさぎ、行く場所が無くなって、頭を石で作った堤防に突っ込んで隠れたつもりの魚を手づかみにする遊びです。
 誰かが教えたのか、ずっと伝承されてきた物なのか…
 朝から晩まで川で遊んだ昔の子供は色んな形の遊びをしましたし、「魚を捕る」と言うこと
が大きな遊びでした。
 釣り・モリ(へし・やす。かなつき)・石小突き・てづかみ・もどり…
 魚が上手に捕れることが一丁前のガキの証でしたし、ガキ大将になるには喧嘩だけではなくこうした分野でも上手で指導的立場になれないと駄目だったのです。
 私の世代から見ると「ジャイアン」がガキ大将になれるかどうか少し疑問があります。
 根っこにある優しさは合格ですけど…

 この産田橋の完全復旧は来年までずれ込みます。
 産田神社にお参りするにはさほどの支障は無いのですが、訪れる人がかなり減っているようです。
 もともと、国道から1Kmほどへっこんでいるので観光客は少ないのですけどね。
 
 こっちは神様の生まれたところ、「産屋」です。
 花の窟神社は生んだ神様が産後の日立ちが悪くて無くなり、葬った墓所です。
 おまけに怒った父親が子供を殺したなんて、「子殺し・幼児虐待」の元祖のような話までついているところなんです。
 お参りするなら「産田神社」の方が縁起が良いと思われるのですかどねえ…
 せめて、セットでおまいりしまいと…

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-08-28 10:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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