LUZの熊野古道案内

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2012年 08月 27日

熊野の旅 秋の田の…

 あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ
 天智天皇です。
 結構色んな話題のある天皇らしいですが、この時代だとこんな上層部の人でも少しは民百姓の生活を身近に感じることもあったのでしょう。
 民のかまどの煙を気にした天皇も居たようですからね。

 今の時代、百姓の秋がむちゃくちゃ早くなり、風情が違った物になりました。
 今は残暑ですが、紀宝町などでは猛暑のうちに稲刈りが始まるし、暑い最中に新米が出てきます。
 私が子供の頃には、「高知では二度お米が採れます。」などと習いましたが、今ならあちこちで可能ですね。
 でも、「米を作るな!」と言う政策がまかり通るくらいですからやっていませんね。
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 近年では稲刈も進歩??して、刈り取った稲を束ねて「はざに掛けて干す」なんてのは、ほんの一部の農家だけです。
 刈り取ると同時に脱穀も済ませ、藁も切断して田圃に撒いてしまいます。
 夜なべにぞうり(じょうり)を作ることもないし、縄をなうこともありませんし、なんといっても「牛」が居ませんからね。
 農家でも「牛は飼うもの」ではなく、「牛は買うもの」になっています。
 「牛」も、昔は「うし」でしたが、今では「ぎゅう」ですね。

 一時期よりはイナゴも少し戻っているようですが、この季節の変動についてゆくのが大変でしょう。
 「どじょう」なんてのも、早々と水を切られますから、田圃で大きくなって、寒くなったら泥の中で冬を越す…なんて生活サイクルでは死に絶えますね。
 私などは昭和の田舎の風景が普通だと思っていますから、こんな風にずれて感じるのですが、今の人はこれが当たり前になって違和感なんて無いのでしょう。
 そして、和歌や俳句は知識として解釈する物で体感する物ではなくなっているのでしょう。

 それでも、こうして田圃が田圃として生きている所は良いでしょう。
 去年だとここも水に沈みました。大きな湖になっちゃいましたからね。
 ざっぷり浸かったけどそのまま水が引いたようになったので、今年の作付けは出来たし豊作のようです。
 しかし、このほんの少し上流になると、田圃の岸が崩れたままで耕作不能の農地がごろごろしています。
 そして、市内にはこのまま耕作放棄になる田圃もあります。
 人口が1/3ほど減るそうですから、日本の食料自給率が揚がっても良いはずですが、田舎が消えてゆけば逆に落ちるのでしょうね。

 「ここに人が住んで痛んだよ。」
 それこそ、伝説の田舎になって「世界遺産」だらけになるかもしれませんね。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-08-27 09:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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