9.11と言うと世界が震撼した日です。
私もあの日のテレビをずっと見ていました。
ビルの崩壊も予測はしましたが、あんな潰れるような形は予想外でした。
3.11も自然が与えた試練として世界を揺るがしました。
そして、私が25年ほど前から地元で警鐘を鳴らしていた、「東南海地震」の津波の想定を大きく越える物になりました。
元々、「津波は逃げるしかない」と、言って来たのですか、逃げなければならない地域が広がり、登る高さも高くなりました。
そして、熊野市内でも最悪の事態では逃げることが不可能と思われる地域も出てきました。
11と言う日はどうも良いイメージがもてなくなりました。
今度の11日…
9月11日も熊野の飲食店には災難の始まりの日になりそうです。
前に書いた、「すき家」が開店するそうです。
ようやく予告の看板が出ました。
通行量がどんどん少なくなっている国道42号線、そして、ものすごい勢いで減少する地元の見込み客、その減少に輪をかける高齢化…
地元資本がいつまで耐えられるか…
日本の片隅、田舎の国道脇に出来た外食チェーン…
規模は小さいですが、地盤の弱い所での直下型です。
店主が高齢化している地元の食堂では閉店を考える店も出るのではないでしょうか?
かつて一杯あった寿司屋もすでに減少傾向です。
かつては、「木本の寿司屋の方が旨い」と、新宮からも食べにきた物なのですけどね。
外部のチェーンが進出して地元の店が消える…
小売業と同じパターンですね。
そして、限界が来ると外部のチェーンは簡単に引き上げます。
そして、お店も食堂も無い町が出来ちゃう…
外食をしない私には食堂が無くても困らないのですが、やっぱり、町としては機能しなくなりますね。
すでに、バーやスナックなどの飲み屋がほとんど無くなった「健全な町」になってきているのです。
要らなさそうなお店とか飲み屋も無い町は「町」ではないですね。
「お金の使い道が無い…」
まあ、国民年金受給者が三割もいる町ですから、「使う金も無い…」が真実なのでしょうけどね。
こうした状況ですから、観光地としても「健全」です。
家が建て込んでいてもひと気が無く、「侘び」「寂び」が漂う…???
「わびしさ」「さみしさ」が漂う町並みになります。
それでも、意地になって「観光立市」を叫んでいます。
小京都にはなりえず…
繁華街にもならず…
小さな部分を切り取らないと「絵」にもならず…
田舎も、「原風景」にはなりえず…
中途半端なのでしょうね。
「良い人」と言われるともてないのと同じで…
「良い所」と言うことなのです。
熊野市周辺地図です