LUZの熊野古道案内

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2012年 07月 23日

熊野の旅 一応盛況だったけど・・・ 記念通り夜店1

 昨夜は昨年度に引き続き熊野市が全面的に協力する「記念通りのイベント」がありました。
 去年はこの時期から毎週土曜日の夜、「社会実験」と言う冠で9月まで延々とやったものです。
 当然のように、客の方も飽きてくるのもあって動員数も少なくなってゆきました。
 今年は月に一回に減らし、夏場は夜店、秋からは昼間で12月まで行うようです。
 先日から書いていますように、今は夜店のシーズン、縁日の季節です。
 弁天さん、稲荷さんは終わりました。天神さん、竜宮さんはまだでしょう。
 これらは宗教がらみということで補助金は入っていないけど、伝統の物です。
 各町内が一生懸命、自力更生で頑張っています。
 本町の夜店もあります。
 これは商工会議所という準公的機関の予算が入ります。
 そして、商工会議所には現職の市職員が出向しています。
 
 熊野市にはちゃんとした商店街はなくなっています。
 昔の中心的商店街の「本町通り」は皇紀2600年に造った「記念通り」に、戦後になって店が並び出して役割を終えてゆきました。
 その頃に、記念通りにあった国鉄バスの車庫が国鉄バス紀南線廃止により払い下げになり、本町の商店が共同で移転したのです。そこは今でも名前だけが「セブンストア」です。
 名前の通り、7軒のお店だったのです。
 長嶋屋(饅頭屋)、山田靴店(靴屋)、毛糸屋などがあったのがかすかに記憶にあります。
 ここは変遷が激しく、DPE店・雑貨屋・ミシン屋などが出来ては消えて行ったのも記憶にあります。
 考えようでは、本町通が寂れるのを見越して7軒もの店が引っ越そうとするだけ本町の商売人にも元気があったのです。

 本町が元気だった頃には井戸町側では松原商店街も元気でした。
 当然、紀伊木本駅の駅前も元気でした。
 何しろ不便でしたから田舎の町が元気で居られたのです。

 私が東京に出た頃、木本中学校の新築移転用地を造成し、その残土で駅裏の田圃を埋め立てる工事がやられました。
 二車線の道路に歩道をつけたもののある、熊野市がやった、都市計画的な街づくりでした。
 時は戦後の復興期から高度成長に入る頃で、やたらと元気そうな雰囲気があった頃なので、この通りに中心街が出来るはずだったようです。
 郵便局、裁判所、職業安定所、関西電力、紀南信用組合などの機関もそのときに木本から出てゆきました。
 そんな街づくりなのに、歩道が戦前に作られた記念通りより狭い!
 おまけに、取り立てて制限が無かったのか、「小金持ち」が投資のためとか「次男坊の家を建てるため」などと言って、使わない土地を買ったので、長い間、空き地や芋畑のままということで、中心が移動したのではなく、分散しただけに終わりました。
 それに、次男坊など帰ってくるはずもないし…(私は帰ってきましたけどね)
 
 その後に、井戸川の反対側に「ジャスコ」が出来て更に中心がぼやけ…
 有馬に郊外型のホームセンターや家電店スーパーが出来て益々分散しました。
 その間に、人口は3万から2万へ…
 老人が1/3を越すまでになったのです。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-07-23 10:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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