LUZの熊野古道案内

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2012年 07月 04日

熊野の旅 道の変遷 村道・市道

 昔々にも中央政府が道を整備したようです。
 熊野古道も平安時代くらいには整備が進んだようです。
 この整備は、軍事的とか政治的な重要性ではなく、「信仰」と言う物が先にたったもので、ユネスコが世界文化遺産に「道」まで含めた原点でしょう。
 時代が下ってきて、政府の機能がはっきりしてくると、全国を網羅する「街道」がきちんと定められたようです。
 「五街道」と言うのが定められたのは江戸時代ですね。
 お江戸日本橋を基点に、東海道 、中山道 、甲州道中、日光道中、奥州道中と言う物です。
 上州・信州・越後に向かう物がありませんね。
 明治以降の鉄道網整備と少し重点が違うようです。
 これらの街道と熊野路は少し趣が違う成り立ちです。

 私たちの生活にかかわる「道」は、あぜ道、山道が長い間に整備され、各集落間も最短時間で行けるように整備されてきたようです。
 近代の新道はかなり遠回りしていますが、昔の道は歩くことを前提にしているので、峠越えで作られ意外と近いのです。
 私が育った飛鳥町小阪からだと、木本へ向かう評議道は今の国道42号線よりうんと距離は短いです。
 新鹿へは今は県道新鹿佐渡線が完成して新道も近いですが、それまでは車で行くのも歩いて行くのもあまり変わらないほど八丁坂越えが近かった物です。
 今では五郷町経由でものすごく縁の無いように思える神川町柳谷なんてところも歩いて山を越えればすぐ隣だったのです。

 そんな歩く道も自治体なんてのが確立されると、重要なのが「村道」となり、合併すると「市道」なんて冠がかぶりました。

 その中でうんと重要なのに狭い物が先に書いた、「赤道・あかみち」で国の管理になったのですが、これは「改修する気は無いけど潰すなよ!」と言うお上の宣言でした。

 昭和の大合併の後くらいから市道の改修が始まり、人しか通れなかった「道」が、荷車くらい通れる「道路」に変わってきました。
 自動車の普及とともに、道路の規格がどんどん変わっていったので、市内を見渡すと色んな市道があります。
 道幅2.5mなんてのが一番古い物です。
 その後で3mになり4mになり、二車線まで出てきたのです。
 そして…
 うんと早く道を作ってもらった集落の人は、「俺らの所の道はせもうてかなわん!」「坪田市長はけちじゃった!」などと文句を言っています。
 二十年も三十年も早く作ってもらったことは忘れているんですね。

 でも、せっかく作った市道・農道もそろそろ役に立たなくなってきました。
 その道を作った目的の家には人が居なくなり、田圃や畑も休耕どころか廃耕になってしまいますからね。
 使わない道路はアスファルトを割ってススキや雑木が生えてきます。
 地道と違い自然に帰るには時間はかかりますけどね。
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熊野市周辺地図です
  

by je2luz | 2012-07-04 06:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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