LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2012年 07月 02日

熊野の旅 道の大切さ 道路工夫

 「工夫」は「こうふ」で「くふう」ではありません。

 人間にとって「道」は生きてゆく上でものすごく大切なのもです。
 何しろ生きることも「道」だそうで、生き方は「人の道」だそうです。
 「人の道」は結構いい加減によそ見をしていても踏み外さずに怪我無く歩けるようです。
 それなのに、その「人の道」を解く人がえらく尊敬されたり金を稼いだり…

 歩く方の道はよそ見していると踏み外したり転んだり…下手すると命までとられます。
 そんな大切で怖い道を掛かりっきりで守りしていた人たちが居ます。
 世間では評価もされず大して金も稼げず…
 そんな人の話です。

 今の日本では道路は舗装されていて当たり前です。
 でも、ほんの少し前まで道路は地道だったのです。
 私が兄貴の自動車に同情して東京まで行ったとき…
 昭和37年くらいだったと思いますが、国道一号線・東海道も一部では砂利道だったのです。
 街中の道が舗装され出したのが昭和30年代中ごろからですから、町の外なんてものは論外だったのです。
 熊野市で町の外が舗装されたのは、鬼ヶ城へ行く道が最初でしょう。
 これは全国であった「行幸舗装」「天皇舗装」と呼ばれたもので、天皇陛下とか皇太子殿下がおいでになる所だけ埃よけ程度の舗装をしたものです。

 こんな例外を除けば、道路は砂利道ででこぼこでした。
 そんな時代でも、国鉄バス路線のある道路はそこそこに手入れされていました。
 「道路工夫」と言われる人が、年中、自分に渡された区間を手入れしていたのです。
 私に近所にも「道路工夫」さんが居ました。
 今のように「国道事務所」なんて物も無く、黄色い回転灯をつけているパトロールカーも作業車両もありません。
 鋤簾(じょれん)鶴嘴(つるはし)ゲンノウなどを使って人力だけで補修したのです。
 砂利の支給も無く、道路脇の山の斜面を掘って土や石を調達したのです。
 適当な石が無いときがゲンノウで割って敷き詰め居ました。

 地道・砂利道はすぐに穴ぼこが出来ます。
 丸いタイヤが同じ圧力で踏みながら走るのに・・・
 何かのきっかけで、ほんのすこしへっこみが出来るとそこにタイヤが落ちる衝撃でどんどん大きくなります。
 雨でも降ると路面がやわらかくなるので大きな水溜りになって穴がひどくなるのです。
 それを直すのが工夫さんの仕事です。

 今の道路はカーブのきつさと制限速度によって決められた角度で道路が傾いています。
 砂利道でも急カーブはバンクになっていました。
 タイヤが遠心力に耐えようとする力で路面を押すので轍が出来、自然にバンクが出来たのです。
 しかし、このバンクは大型車にはありがたいのですが、乗用車などは進路変更も出来ないし、放置すると大型でもデフをこする所まで行きます。
 これが原因の事故もありましたし、無理して避けようとしたトラックが引っ繰り返るなんてのもありました。
 私自身もトラックで左カーブ内側一杯で停止したのに、轍バンクを乗りこえるのが怖かったと言うう乗用車に当たってこられた経験もあります。
 こんなバンクも人力で削っていたのが工夫さんです。

 一年中、国道に張り付いて、黙々と直し続ける…
 決して完成しない仕事です。
 路面が良くて当たり前、悪いと叱られる…
 毎日通りかかって見ている人でもその存在は道に溶け込んでいて気が付かない…

 工夫って仕事は区間を決められて一人で働きます。
 それも、何年でも同じ区間です。
 工夫さんは寡黙な人が多かったです。
 そんな人だから工夫になったのか、工夫になって寡黙になったのか…
 この縁の下の力持ちのような人たちも、道路改修が進むとお払い箱でした。
 広くなって舗装された道路を見てどう感じたでしょうね。
 ドライバーには分からない気持ちでしょう。
d0045383_12262132.jpg


by je2luz | 2012-07-02 12:26 | 熊野 | Trackback | Comments(1)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/16216597
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by wankoya at 2012-07-02 14:18 x
それは、合理的な話ですね
昔は、デアイというものもありましたね
国も地方もいろいろバラマキをやっていますが、公道に面している家にメートル100円くらい(年間)で道の草引きを命じてくれたら良いのになあと思う今日この頃
もちろん黙って目の前の草を引いていますが・・・


<< 熊野の旅 道の大切さ ひのきしん      熊野の旅 私の知らない矢の川道 >>