LUZの熊野古道案内

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2005年 08月 21日

熊野の旅 番外 人間空海 甲山・神呪寺

 空海は高野山を開き全国に『弘法大師』として知られる人となる前には、又別の一面も持っていました。
 四国に生まれ、幼くして神童と言われ、出家後はその英才振りを発揮し、当初の予定の中には無かったと言われる遣唐使に加えられ海を渡りました。言葉のハンディを乗り越え予定の半分で密教の奥義を習得して帰国したそうです。
 帰国後は都を中心に活動し、雨乞いの祈祷合戦では勝利して名声を高めたとも言われています。
 その頃に空海は障害でたった二人と言われる女性のお弟子さんを作っています。一人は母親です。やはり、特別なものですから・・・
 もう一人は、淳和天皇の第四妃であった『真井御前』(まないごぜん)です。この人は元来丹後の国・籠神社(このじんじゃ)と真名井神社(まないじんじゃ)に関係があるお姫様だそうです。
 この真井御前は空海と知り合った後、空海の手で剃髪してもらい出家しています。
 真井御前がお告げによってお寺を開いたのが、西宮の甲山の中腹の『神呪寺』(かんのうじ)です。ここに寺を構えて後も、空海はここを訪れていたようです。街を離れ、小高い丘陵地に建つお寺からは、浪速の国、摂津の国、かすむ山の向うは奈良の都、そして光る海の向うに青くかすむ山の上には『高野山』があります。
 真井御前は出家の時に空海より『如意尼』という法号を貰っています。
 この真井御前と空海の関係は単なる高僧と弟子の関係ではなかったとされています。
 真井御前はここ甲山、神呪寺ではるか高野の方を望んで経文を唱えながら息を引き取られたそうです。その時の恩年33歳という若さでした。
 空海はその姿をしのんで『如意輪観音像』を彫られたそうです。この秘仏は毎年5月18日に公開されるそうですが、実にかわいらしいお姿だそうです。
 人間空海の喜びも苦しみも悲しみもこの真井御前抜きでは考えられないのではないでしょうか?

カメラは フランカ・ボナフィックス 2

by je2luz | 2005-08-21 14:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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